715発目 本当はアメリカが好きな男の話。


ライナーノーツ

長い転勤生活から解放され

ようやく地元である福岡に

戻って来た私に待ってたのは

たくさんの再会だった。

 

ある者は電話を寄越し

ある者は街ですれ違い

ある者はメールをしてきた。

 

誰もが笑顔で、そして弾んだ声で

丁寧な文章で、私の凱旋を

祝福してくれた。

 

そして、ようやく1か月が

経過したころ、知り合いからの

『お帰り』ラッシュも

一段落し、私自身が

転勤していたことさえを

忘れそうになっていたころ、

あいつと再会した。

 

あいつは大学生の頃の

バイト仲間で、いや、

仲間ではないな。

どちらかというと

苦手なタイプの

男だった。

ただバイト先が同じ

ということと性別以外の

共通点は皆無だった。

 

『軽佻浮薄』を絵に描いた

ような男で、そのルックスや

喋り方、歩き方までが

とにかく軽かったのが印象的だ。

 

帰宅途中の電車の中での再会で

あいつは当然のように隣に

座って来た。

嫌だな。こいつとしゃべると

疲れるんだよなぁ、と

考えていたら、あの時のことを

思い出した。

 

 

「お前らはさあ、この国を

愛してるのかよ?」

 

あいつは唐突に思想の強めな

質問を投げかけてきた。

 

「あのなぁ、言っとくけどよ

本当に日本が好きならよ、

洋モクなんか吸ってんじゃねえよ」

 

その頃の学生はマールボロや

ラッキーストライクなどの

洋モク、いわゆる外国産の煙草を

好んで吸っていた。

私はセブンスターを吸ってたので

愛国者として認められた。

いや、認められなくてもいいのだが。

 

「特にラッキーストライクは

ダメなんだよ。

何でか知ってっか?」

 

全員が首を横に振る。

 

「あれはよ、アメリカの奴らが

広島に爆弾を落として

命中させたときに発した

言葉なんだよ。

だから、俺たち日本人は

何があってもその煙草は

吸っちゃだめなんだよ」

 

彼が話したこのエピソードは

全くの間違いだ。

ラッキーストライクの

パッケージデザインは1940年、

つまり広島への原爆投下よりも

前にされている。

その時点で名前もラッキーストライク

だったから、あいつの言ってることは

ただの濡れ衣だし、アメリカへの

偏見と悪口だ。

 

「だったら日本の良いところを

一つだけ言ってみろよ」

 

あいつの尊大な口調や態度に

辟易としだしたメンバーの一人が

あいつにこう投げかけた。

 

あいつは思案するような顔で、

いやそもそも思案するほどの

知識を持ってるとは思えないのだが

ようやく一つの結論に至ったようで

もったいっぶって演説を開始した。

 

「いいか?日本の良いところを

一つ挙げろだと?

愚の骨頂だ。日本の良いところが

たった一つの訳がねえだろ?

だけど、敢えて言うなら

そうだな、米だな。」

 

米?白米のことか?

 

「そうだ。ライスだ」

 

あ、アメリカ嫌いの奴が

英語を使った。とは誰も言わない。

疲れるから。

 

「棚田って知ってるか?」

 

あいつは全員の顔を見回して

続けた。

 

「ああゆう、美しいところで

生まれる米はそれ自体が

とっても美しいんだ。

そして日本人は例外なく

お米に親しんだ生活を

している。」

 

あいつはうっとりとした

表情で尚も続けた。

 

「俺たちは米と親しい国

つまり親米国だ。」

 

 

おいおい。

 

それこそがまさに

アメリカと親しいって意味だろうが!

 

ふと隣を見ると、あいつは眠っていた。

 

私はそっと席を立ち

隣の車両へと移動することにした。

 

福岡には会いたくない奴も

いたんだなってことを

再認識し、浮かれないように

注意すべきだと

兜の緒を締めた気分になった。

 

ふと、あいつのネクタイピンが

目についた。

 

 

 

アメリカの国旗じゃねえか!

 

ヘンナヤツ

 

合掌

 

 

 

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