世の中には想像もつかないほどの偶然がある、とは聞いていたが、まさかそれが自分の身に降りかかるとは思ってなかった。 きっと、そんな奇跡的な偶然は私ではない誰かの身に降りかかり、私が住んでいる街ではないどこかで盛り上がっている、つまり 「あっしには 関係のないこってす」 と思っていた。
仕事が休みだからと言って休日に出かける予定もなかった。午前中のうちにお酒のつまみを買ったら、その日の予定は全て完了してしまい、文字通り 「暇を持て余した」 状態に陥った。
だからというわけではないが子供たちから「公園に行こう」と誘われたときは年甲斐もなく喜んだ。
「こんな僕でもよかったら」 と卑屈な態度にさえなっていた。我が子に対してなのに。
「あれ、公園 こっちじゃなかったっけ?」
いつもとは反対の方角へ進みだした子供たちの背中に声をかける。 「こっちこっち」と私の意に介さず彼らは進んで行く。住宅街の遊歩道を進んで行った先にぽかりと空間が広がっており、周囲をマンションが囲んでいた。 ちょうど良い陽当たりとちょうど良い日陰があり、私は影を落としたベンチの一つを選んで座った。
子供たちはそれぞれ、自転車の練習をしたり、Jボードと呼ばれる近未来型のスケートボードの練習をしたりしている。時折、ベンチに腰掛ける私に向かって「見て見て」とせがむので見てやる。 それ以外はこれと言ってやることはなく 「家にいても公園にいても暇を持て余すなんて・・」と嘆いてみる。
正面からやって来る男性が私に話しかけるのに、躊躇はなかった。小さな女の子を二人連れている。年の頃は30代の後半に見えなくもない。 下手したらもっと若いかもしれない。
「ようカズシ久しぶりだな。なんだよ、こんな所まで来てんのかよ?」
カズシに間違われたということにはすぐに気がついた。だから、私は否定の一言を言うべきだった。 だが男性は私に喋らせてくれそうになかった。 ベンチの隣の空いたスペースにドカっと座ると、一気にまくし立てた。
「参ったよなぁ? どうすんだよ、あれ? やっぱ部長、辞めんのかな?あれ!!」
男性は座ったばかりであるにも関わらず、立ち上がった。
「あ、すみません! 間違いました。 失礼しました。」
そう言って子供を連れてそそくさと立ち去った。子供たちが近づいてきて「今の人誰?」と尋ねられたが「全然、知らん人」と答える。それしか答えようがないから。
しかし気がついてくれて良かった。私は余りにも暇だったから一瞬、カズシの振りをして会話を続けようと思っていたんだ。あんなに早く気がつくなんて、まったく面白くない。 プロローグで犯人が分かる推理小説みたいだ。
子供たちが別の場所に行きたいと言い出したので、私は駅前の広場を提案した。子供たちも同意し、そこへとゆったり向かい始める。途中、遊歩道を通り春の新緑に目を細めながら道端に咲いた花や木やすべての植物などを眺めても私の心は満たされることなく、ただただ 「暇だなぁ」 というキーワードが頭の中をグルグルと渦巻いていた。
後ろから女性に声をかけられた。「こんにちは~」 愛想良く子供たちも挨拶している。見るとご近所の奥様だった。子供を連れて買い物に行くそうだ。
こんなとき、女性同士なら立ち止まって会話を続け、持て余した暇な時間を、くだらないおしゃべりで埋めるのだろう? だが想像通り、ご近所の奥様は私には挨拶のみの対応で、こっちが暇を持て余しているのを知ってか知らずか、そそくさと立ち去った。
あ~あ、人違いだったら良かったのに。
駅に着いたら思いのほか人出でにぎわっていた。広場の片隅でパントマイムのショーをやっている。そのパントマイマーを囲むように人の壁が出来ていた。子供たちが見たいというので私も子供を連れてその人垣の一部になるべく輪に加わる。 30分ほどショーを楽しんだ。パントマイマーは帽子を持って観客に近づいてきた。ショーに満足した人たちはその帽子の中に、お金を入れていた。
「ねえ、お父さん、どうする?お金、あげるの?」
子供たちが尋ねてきた。そうだなあ、どうするかなあ? と逡巡しているとパントマイマーが近づいてきた。
「お願いしま~す。」深々とお辞儀する彼が私の顔を凝視した。彼はピエロのメイクをしているが案外若いと思えた。30代の後半くらいかな?と見当をつけてみる。
「安河内君、見に来てくれたんだ?」 と明らかに私に向かって言った。
キタ!
本日2度目の人違い! いいんだな? 俺は演じるぜ! その瞬間、私はとても意地悪な顔をしていただろう。抜群のパフォーマンスをした若きクラウンをだまそうとしているから。徹するぞ~、私は安河内です。そうです。あなたの友人で、ここに来れるかどうか分からないけど、行けたら行くわ、と言っていた安河内です。
私は少ない情報から安河内になり切り、彼に1発目の言葉を返そうとした。
「ああ、時間が出来たからさ。ほら、これは俺からのご祝儀だ。」
私はそう言って、若きクラウンが差し出した帽子に1,000円札を入れた。
「やめてよ、安河内君。 同業者からはもらえないよ」
え!
同業者?
急にハードルが上がったなぁ。まずいんじゃないか?コレ、ヤバイ展開だなぁ。ここで種明かししといた方が良さそうだな。私は急に不安になった。だが、種明かしする勇気がない。もうすでに私は安河内の振りをしてしまっている。 どうする? そうやってこの場を切り抜ける?
救世主というのはこういう時に現れるもんだな。 先ほどの男性が、私をカズシと間違った男性が近づいてきた。
「あら、先ほどは失礼しました。」
「あ、いえいえ。 実は今もちょうど、このクラウンに人違いされたトコだったんですよ。」
男性はまるで今気づいたと言わんばかりにクラウンの方を見た。
クラウンは困惑している。 「安河内君じゃなかったんですか?失礼しました。」 「いやいや、気にしないで下さい。だからその1,000円は取っていただいて結構ですよ。」
私の横でクラウンを見つめていた男性がおもむろに口を開いた。
「もしかして村野?」
彼はおずおずと話しかけた。 なんと! この人、クラウンと知り合いなの? 偶然ってあるんだなぁ。クラウンはじっと男性を見てこう言った。
「いえ、吉川です。」
一日に何回も間違う人と、一日に何回も間違われる人。 みなさ~ん。 横浜には様々な人がいるんですよ~。
カエッテネヨ
合掌