とあるアパートの駐車場に立って、そのアパートの屋上を見上げていた。 と、言うのも入居者から連絡が入り「屋上の雪が今にも落ちそうだからなんとかしてくれ!」と言われたからだ。 もちろん、そういう事態にも気持ちよく対応するのが我が社のモットーだ。早速、私は現地へ車を走らせ、そして駐車場から屋上を見上げている次第だ。
札幌では雪庇という。「せっぴ」と読む。 文字通り、雪が庇のように建物から張り出した状態のことだ。 これが出来る主な原因は、北風だ。 だから雪庇は南側か東側にしかできない。 私が見上げている部分も南側だ。 そして南側には駐車場がある。 あの雪がドサリと落ちてきたら車は当然、つぶれるだろうし、万が一、そこに人がいたら良くて大怪我、悪ければ死に至らしめる危険なものだ。 正義感と仕事の責任感から私は、あの雪庇を落としてやろうと試みた。
まずは最上階に上がり、屋上へと通じるマンホールを開ける。 はしごをよじ登って、よいしょと屋上へ上がって驚いた。屋上には私の膝上くらいまで積雪していた。とてもじゃないが、建物の端までいけそうにない。 よしんば行けたとしても、ツルンと滑って一巻の終わりだろう。
そして、大事なことを思い出した。 私は「高所恐怖症」だった。 物心がついてから、3階より高いところに住んだことがない。
一度だけ、建築の完了検査で23階建てマンションの屋上に上がったことがあるが、少しだけオシッコをちびっていた。
正義感と責任感をかなぐり捨て、私は地上に戻った。 そしてもう一度、屋上を見上げた。
「どうしようもないな。」
私がつぶやいたとき、隣の敷地から声がかかった。
「オレのことか?」
その声に驚き、(いや、そもそもそこに人がいたことすら気がつかなかったので、飛び上がったくらいだ。) 私は言い訳がましく返答した。
「いえ、あなたの事ではなくて、あの雪庇のことです。」
「なんだよ、あれくらい楽勝だよ。オレに任せるかい?1万円でやったげるよ。どれ、スコップを貸してみな。」
男性は柵を乗り越えてコチラの敷地に入ってこようとした。 この人は一体、どこから現れたのだろう?もしかして雪の妖精かな? よく見ると寝巻き姿で足には包帯を巻いている。 隣の敷地に立つ建物を見上げた。 どうやら病院のようだ。 すると、この人は入院患者か?
「あ、いや、結構です。 足を怪我してるじゃ無いですか。お大事になさってください。」
「いや、けどよ、退屈なんだよ。何かやらせろよ、俺にも!」
男性は口を尖らせて苦情をぶつけてきた。 ああ、やっかいなのに絡まれたぞ。
「あっはっは。」
突然、男性が笑い出した。
「男に向かってやらせろよ!は、無えわな?ごめんよ、おじさん、ホントに退屈してんだよ。」
「いや、本当に危ないですから。それに1万円なんて払えません。」
「何だよ、じゃ、しょうがねえな。」
「あの、ところでおじさんは?」
「ああ、オレか?オレはここに入院してんだ。」
そう言って男性は親指で彼の後ろに立つ建物を指した。怪我ですよね?と私は彼の足を指差した。
「おお、すが漏りを修理しててさ。」
「すが漏りって何ですか?」
「あれだよ、屋根の継ぎ目が凍っちゃってよ、そんで2階はあったけえだろ?そのあったけえ空気で隙間の氷が解けて室内に水漏れすんだよ。それの修理だよ。なんだい、あんちゃん、北海道の人間じゃねえのか?」
「ええ、まだ来て2年なんです。」
「覚えとけよ~、すが漏りはやっかいだぞ~。そんでよ、屋根に上がってるときに足すべらしちゃってよ、そのまま下にズドンだよ。 そしたら、ポキンだって。折れちまいやがんの。」
「じゃ、なおさら屋上になんか上がらせられないじゃないですか!病室に戻って安静にしてなきゃ!」
「いいんだよ。実はよ、ここだけの話だけど、オレはよ、もう1ヶ月ここに入院してんのさ。保険金がたんまり入ってくるからよ。ホントはくっついてんだよ。でもよ、折れてるフリをしてるだけなのさ。」
「レントゲン撮ったらすぐにばれますよ。」
「大丈夫だよ!ここのよ、これ、あんだろ?」
そう言って男性は建物の裏手のぽっかり空いたスペースを指差した。
「なんですか?」
「ここのよ、この喫煙スペースをオレが仕切ってんだよ。医者に頼まれてよ。 誰かが見張ってねえとよ、あちこちに吸殻を捨てる奴がいんだよ。最近の病院はどこでも敷地内禁煙だろ?受動喫煙がどうとかっつって。でもよ、ここだけはコッソリ吸える様にオレが管理してんのさ。 患者はみんなここのことをウラって呼んでるんだぜ」
そうこうしていると、数人が裏口から出てきて煙草を吸いだした。全員、一様にパジャマを着ている。どこからどうみても入院患者だ。
「すると、あれですねウラの管理人ですね。」
「はっはっは、そうだな。管理人って札でも首から下げとくか!じゃあな、あんちゃん、邪魔したな。」
男性は仲間が来たからか、喫煙スペースに戻って行った。 彼の後姿の首のところに白い札がついているのに気がついた。
パジャマが裏返しじゃねえか!
まさしくウラの管理人だ。
ムダナ20プンダッタ
合掌