就職して2年目に突入した私に最初に出来た後輩は、私をイラつかせる達人だった。
オフィスは大宮の旧中山道沿いに建つビルに入居していた。 奈良県出身の彼は、私が向かう営業先に着いて来ては、営業の手法を学ぼうとしていた。 そのこと自体は好感が持てる。 ほほう、なかなか見所のある新人じゃないか、と思っていたのは最初の1日目の午前中だけだった。
その日は都内の顧客を訪問し、国道17号線を埼玉方面に向かって走っていた。 運転は私がしていた。 新人は道も知らないし、何より会社の規定で入社後最低半年は運転をさせてはならないという お達しが来ていたからだ。
初めて見る景色にワクワクしてるのか、奈良県と比べて東京はビルが多いですねぇ、とか言ってる。
ちょうど昼時だったので、国道沿いの適当なレストランを見つけ、車を停めた。 1階が駐車場で2階が店舗のよくあるファミリーレストランだ。窓際の席に案内され、私と新人は向かい合って座る。
しばらくすると、新人が 『ああ!』 と声を出した。
『どした?びっくりするやんか。』
『いえ、先輩、あそこ。』
そう言って指差した方向を見るが何も見当たらない。
『どれのこと?』
『いや、あれっスよ。あの看板。道路の名前が書いてるじゃないですか。 あれ、ウチの事務所のビル出たとこにもありますよ。 繋がってんスね?ここと。』
見下ろすと青地に白い字で通りの名前が書いている。
『いちにちじゅう、やまみち って面白い名前っスね。』
コレがヤツのファースト・イラつかせだった。
『なんて? お前、今 なんて言った?』
『いや、だから いちにちじゅうやまみち。』
『ボケたん?』
『いえ、ボケてません。』
『旧中山道 やろが! きゅうなかせんどう! 何がいちにちじゅうや!ボケ。』
『あ、あ~。旧かぁ。もっとひっつけて書いてもらわんと一日中って読みますやん。』
『読むか!』
この日を堺にヤツは私をイラつかせるいい間違いを、たくさん、それこそ星の数ほど言って来た。
だが、温和な性格の私はそのほとんどを許してあげていた。 だが、この『ファースト・イラつかせ』 から2ヵ月が経過したとき、もう一度ヤツが私をイラつかせた。 『セカンド・イラつかせ』 だ。
『先輩、オレもう1人で営業行っていいスか? アニマル通りやるの嫌なんすよ。』
『なんて?』
『いや、だから・・・』
『わざとか?』
『へ?』
『わ・ざ・と・か?』
『何がっスか?』
プチプチプチ(血管の切れるような音)
『お前、今、アニマル通りっちゅ~たやろうが~!何や!ボケたんか?間違ったんか? どこの通りや、それ?アニマル通りっちゃどこの通りや~!動物だらけなんか~? コラ! 象とかパンダで道路が埋め尽くされとるんか~?ああん? マニュアルやろ~が~!』
抑え切れなかった。 温厚な私の性格が災いし今までの鬱憤が全て吐き出された瞬間だった。 ヤツは怒り狂う私の眼前でうろたえている。
『す、すんません。 アニマルと思ってました。 マニラルなんすね。』
『マニュアルや!』
『あ、マニュアル、すんません。 発音、難しいっスね。』
その日以来、私はヤツとのペアを解消した。 一緒に居るだけでイライラするからだ。 だが、ヤツの『サード・イラつかせ』 は一緒に居ても居なくても同じことだった。
仕事終わりに居酒屋で同僚と酒を飲んでいた。
『サトル、あいつにだいぶ手を焼かされたみたいやね?』
『もうさ、イラつくんよ。 聞き間違いとかいい間違いが多すぎてさ。』
『ああ、昨日のナカムラさんがキレた件、聞いた?』
『いや、何したんあいつ?』
同僚の話はこうだった。
ナカムラさんがヤツを連れて数人とで飲みに行ったそうだ。 その席で 松田優作の話になったらしい。 松田優作ほどの名優はいない。 彼の出演作品はあ~だ、こ~だと薀蓄をたれていたのは、他でもない新人のヤツだったらしい。 ナカムラさんも薀蓄をひけらかしたくなったのか、ヤツが熱弁する合間を縫って、こう言ったそうだ。
『息子の松田翔太はバイリンガルらしいね。』
すると他の数人は『へぇ』とか言って感心してるのに、ヤツだけが 『あっはっはっは、何言ってるんスか?ナカムラさ~ん。』と笑い飛ばした。
『松田翔太は男っスよ。』
『知ってるよ。』
『だってバイリンガルって。』
『そうだよ。ん?』
『なんスか?』
『も1回言って。』
『バイリンギャル。』
この瞬間、人づてに聞いた話であるにも関わらず私はキレた。 当然、そこに居たナカムラさんもキレにキレまくったそうだ。
『バイリンギャルっちゃなんや~! 性病の女みたいに言うな~!』
ヤツは夏が終わる頃に辞表を出し会社を去った。
今日の教訓
いい間違いには気をつけよう。
キレルヒトガオルカラ
合掌