彼のプライバシーのため
苗字は明かせないが
名を『太閤』といった。
『たいこう』と読む。
何しろ、呼びやすいし
大物になりそうだろ?
だからだよ。
と彼の親は彼に
名前の由来を説明した。
両親の想いとは裏腹に
学生の頃の彼は周囲から
『秀吉』と呼ばれた。
クラスで6人を1チームに
班編成されたときも
その名前のおかげで
いや、名前のせいで
と言ったほうが正しい、
彼は班長に任命された。
秀吉、つまり太閤は
天下統一どころか
その6人の班でさえ
まとめることが出来なかった。
自分の器量と名前とを
天秤にかけ、その名前ほどの
器がないことに気がついた太閤は
両親に、なきながら訴えたそうだ。
こんな名前はイヤだ。
両親の想いを叶えられない、と。
だが、両親は優しい笑顔で
彼にこう告げた。
『君はまだ16歳じゃないか。
結果が出るまでにはもっと
時間がかかるよ。
ボク達は君がきっと
大成すると信じている。
ほら、大器晩成とも
言うじゃないか!』 と。
彼はこの両親からの溢れる愛に
またも涙した。
涙が止まらなかったそうだ。
この言葉に自信をもらった彼は
それ以来、学業に励み
高校を卒業する頃には
日本で一番とされる
あの大学が合格圏に
なるほど成績を上げた。
やがて迎えた大学受験。
彼は見事難関を突破し
大学に合格した。
本人は勿論のこと
両親もまるで自分のことの
様に喜んだ。
秀吉、つまり太閤は
両親が喜ぶ姿を見て
心の底から嬉しかった。
両親の想いを込めた
太閤という名に相応しい
男になれたかもしれないと
思った瞬間だった。
大学に通いだして数日が
経過した。
彼の周囲にもだんだん
友人が増えてきた頃だ。
友人達はその親密度を
一層増す手段として
ニックネームや下の名で
お互いを呼び合いだした。
ここでもやはり太閤は
両親の想いとは裏腹に
秀吉と呼ばれた。
だが、もはや太閤は
そう呼ばれることに
抵抗は感じなかった。
太閤はすなわち秀吉のこと
じゃないか、と。
厳密に言うと太閤というのは
摂政や関白の職を子弟に
譲った人の事を指す名称だった。
だが、現在では甥に役職を
譲った豊臣秀吉のことを指し、
『大師は弘法に、太閤は
秀吉に奪われる』
という格言まであるほどだ。
なるほど太閤が秀吉と
呼ばれることに抵抗を
持たないのにはこういう
理由もあったからだった。
次第に太閤は自己紹介のときでも
この格言を引用し、
『皆からは秀吉と呼ばれてます。』
と言うほどだった。
ある日、両親は太閤を呼び
こう告げた。
『太閤よ、やはり我々
名付け親としては君が
秀吉と呼ばれることに
違和感を感じる。』
この両親の言葉を聴いてから
彼は自己紹介でも
『太閤と呼んでください。』
というようになった。
大学4年生になると
太閤は自分の将来を
真剣に考えるようになった。
会社を経営したい。
世界中のあらゆる商品を
日本に持ち込み紹介したい。
その想いから太閤は
商社を中心に就職試験を
受けた。
彼の抜群の成績に
目をつけた企業は
少なくなかった。
実に彼は十数社の
役員面接までこぎつけた。
彼は持ち前の明るさで
面接のときにも臆することなく
『太閤と呼んでください。』
と言い放ち、面接官たちを
魅了した。
数ある有名企業の中から
太閤は1社に絞りそこに就職する。
最初に配属された職場は
アフリカに水道管を配置する
日本のODAを受けた建設会社に
鋼管を輸出する仕事だった。
新卒での配属は珍しいことでは
あったが彼の語学力と
持ち前の人懐こさは十分に
現場に対応できるだろうとの
上の判断だった。
初出社こそ日本の本社に
赴いたが翌日から彼は
アフリカに飛ぶ。
ジョモケニヤッタ空港は
ケニアの首都ナイロビに
ある。
太閤は職場の先輩達に
暖かく歓迎され、
すぐに職場になじんだ。
職場のメンバーは皆、
彼のことを太閤と呼んで
親しんだ。
両親の想いが届いた
瞬間だった。
日本の本社から帰国の命令が
出たのは着任して4ヶ月が経過した
頃だった。
太閤の上司が彼にこう告げた。
『フォローアップ研修のため
一旦、日本に帰りなさい。』
そういって上司は太閤に
2枚のエアチケットを渡した。
行きの日付は8月7日だが
もう一枚のチケットには
日付が入ってなかった。
上司の計らいで、
お盆が近いからそのまま
夏休みをとり、実家に
帰ってきたらどうか、との
事だった。
その粋な計らいに甘えて
彼は日本へと帰国するのだが
そのときに事件は起きた。
2013年8月7日。
ケニヤの初代大統領の
名前を取ったジョモケニヤッタ空港の
国際線旅客ターミナル出入国審査
エリアで大規模な火災が発生したのだ。
ちょうどその時、太閤は空港にいた。
早朝だったため負傷者は奇跡的に
ゼロだったが、大規模な火災だったため
空港は閉鎖された。
当然、帰国できなかった太閤は
上司に電話で事情を説明すると
心配した同僚達が空港まで
太閤を迎えに来てくれた。
空港で太閤を迎えた同僚達は
消火活動のとばっちりで
びしょびしょに濡れた太閤に
バスタオルを差し出した。
『大変だったな太閤。』
太閤はバスタオルを受け取り
シャツを脱いだ。
一同が息を止めたのは
そのときだった。
『た、太閤・・お前・・・』
太閤は自分の裸体を見る
同僚達の目に気がついた。
そして笑いながらこう言った。
『あんまりじろじろ見ないでくださいよ。
恥ずかしいじゃないですか。
毛深いでしょ、ボク?』
確かに太閤は毛深かった。
というか、毛深いどころの
騒ぎじゃなった。
まるでセーターを着ているようだった。
『お前、その毛深さは
パンチ力あるなぁ。』
同僚達は笑った。
つられて太閤も笑った。
次の日から太閤は
『体毛』と呼ばれることになった。
両親の想いとは裏腹に。
ウール100パーセント
合掌