471発目 手紙の話。


ライナーノーツ

7月23日は『ふみの日』と言われている。 1975年に当時の郵政省が制定した。 文月と23日を ”ふみ” と読むことから語呂を合わせたのだろう。 SNSや電子メールの発達で手紙を書くことが急速に少なくなっている。 だからかもしれないが手紙や葉書を頂くと非常に嬉しい。

 

そういえば昔はペンフレンドと言う習慣があった。 雑誌のペンフレンド募集で見つけた相手に手紙を送りつけ見ず知らずの人とやり取りするあれだ。 かつて爆風スランプというバンドが『大きなたまねぎの下で』という曲で描いた世界も見ず知らずのペンフレンドに恋をした男の子が武道館で行われる大好きなバンドのコンサートチケットを贈り、初めて会えるかも知れないという状況で、やっぱり会えないというものだった。

 

今で言うと出会い系サイトみたいなものだ。

 

私が高校生くらいの頃には、それでもまだメールやSNSはなく、クラスでのちょっとしたやりとりは手紙で行われていた。

 

例えば授業中に小さく折りたたんだ手紙が廻ってきて 『誰々君に渡して。』 という。 中には例えば『今日、一緒に帰ろう』 だとかそういう甘酸っぱい内容が書いていたのだろう。 私はもらったことが無いから分からない。

 

いまだとLINEでぴゅうっと送れば事は足りる。 だがそれだとあまりにも味気ないのではないか?

 

高校2年生の頃に全員に回してくれ、という依頼の小さな手紙が廻ってきた。

 

大好きなミヤサコ先生の化学の時間だった。 私が化学を好きになったのはこの先生のおかげと言っても過言ではない。 出席番号を元素番号にあてはめて生徒を元素名で呼んでいた。ちなみに私は28番ニッケル君だった。 大好きが故に授業をジャマされるのはイヤだったが、その手紙のあて先が全員ということだったので私はハート型に折りたたまれたその手紙を開けた。

 

差出人はO君だった。 手紙には彼の見かけによらない綺麗な字でこう書いてあった。

 

『ミヤサコの口の周りにチョコがついとる。』

 

当時のミヤサコ先生は病気で入退院を繰り返しており、時折、吐血もしていたようだ。 だから口の周りについてるのはチョコではなく血なのだ。 冗談にしても笑えない。 私は無言で手紙を次の順番に廻した。

 

休み時間になり先ほどの手紙の話になった。 私と仲の良いコバルト君がO君にこう言った。

 

『お前、あれはいかんぞ、あれは。 洒落にならんやろ!』

 

O君は少し反省したようだった。

 

それから何日か経過したある日、またO君から手紙が廻ってきた。 またか、という思いはあったが開かずにはおれなかった。中にはこう書いてあった。

 

『イノウエがフォッサマグナ』

 

フォッサマグナとは日本列島を真っ二つに割るといわれている地溝帯のことだ。

 

イノウエの方を見た。 私の席からだと彼の後頭部しか見えない。 がO君のいう『フォッサマグナ』の意味が分かった。

 

彼の後頭部はまるでフォッサマグナが発動したかのように寝癖で真っ二つに割れていたのだ。

 

結局、私が高校時代に手にした手紙はO君からの2通だけだった。 その2通とも内容が他人の悪口だった。

 

私も甘酸っぱい手紙をもらいたいものだと嘆いた淡い思い出だ。

 

元気かなぁ?

 

Oクントイノウエ

 

合掌

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