379発目 手数の話。


ライナーノーツ

セコンドが選手にこう言った。

 

『いいか!相手も疲れてる。

あとは手数を多く出した方が

勝つんだ。

出来るか?出来るな?』

 

手数を多く出した方が勝ち。

 

この言葉は私の心に深く

刻まれた。

 

時は昭和61年。

私は高校生になったので

アルバイトで手にした給料を

自分名義の銀行口座に入金し

自分名義のキャッシュカードで

管理していた。

 

昭和50年ごろから街中には

CD(キャッシュディスペンサー)にかわり

ATMが出現してきていた。

 

automatic teller machine

 

自動入出金機の略だ。

 

だがATMが出現してから

10年以上が経ってようやく

市民は重い腰をあげ

ATMを利用し始めた。

 

なぜなら、

使いなれない機械よりも

窓口の方が手っ取り早かった

からだ。

 

ところが銀行側も手を打った。

 

ATMの方が手数料が安い設定を

したのだ。いや、厳密にいうと

窓口での手数料を値上げしたのだ。

 

これにはさすがの市民も

動かざるを得なかった。

 

不慣れなATMのコーナーに

行列が出来だしたのは

こういった理由からだった。

 

そんなことはつゆ知らず、

バイトの給料を手にするため

ATMの行列に並ぶ私の前には

十人以上の待ち人がいた。

 

私の目の前には初老の男性が、

姿勢正しく立っていた。

 

グレーのスーツに身を包み、

足元はあめ色に光る革靴、

360度どこからみても

紳士なオジサマだった。

 

私の順番が来るまでの間、

オジサマが話しかけてきた。

 

私はハッキハキと答えた。

 

好青年だと思われようと

したのだ。

 

もちろん、オジサマが金持ち

そうだったので、イイ子にしてれば

何かもらえるかな?銀行だから

くれるならやっぱり現金だろうな。

と思ってたからだ。

 

さて、ほどなくしてオジサマの

順番が回って来た。

オジサマは私に軽く会釈して

前に1歩進んだ。

 

ピ。ピ。ピ

 

う~ん。

 

ピ。ピ。ピ。

 

う~ん。

 

オジサマはかなり考えながら

やっている。

 

ピ。ピ。ピ。

 

『もう一度最初から

やりなおしてください。』

 

機械的な音声が再スタートを告げる。

 

オジサマは後ろを振り返り

私に目で合図した。

 

もちろんですともオジサマ。

 

私なんかでよろしければ、

いくらでもお手伝いしますとも。

 

もちろん、下心満載で私は

オジサマの近くへ向かう。

 

オジサマの横に立ち、

ささやき声で尋ねる。

 

『何をしましょうか?』

 

『ここに振り込みをしたいんだ。』

 

オジサマは左手に持つ

小さな紙片を私に見せた。

 

そこには振込先の銀行名と

支店名、そして相手の名前と

電話番号が書いてあった。

 

これだけの情報があれば

申し分ありませんよ。

もう間違えようがないですよ。

 

私はオジサマの横に立ち、

一画面ずつ説明しながら

進めて行った。

 

ピ。ピ。ピ。

 

『そうそう、そこに

振込金額。』

 

ピ。ピ。ピ。

 

『うん、じゃあ、おじさんの名前。』

 

ピ。ピ。ピ。

 

『うん、そして電話番号』

 

『ありゃ、間違った。

4じゃなくて7やった。』

 

『あ、そしたらですね、

そこの訂正ボタンを・・』

 

私は訂正のボタンを指さす。

 

『あ~あ~そっちじゃない!』

 

『もう一度最初から

やりなおしてください。』

 

オジサマは間違って取り消しボタンを

押してしまった。

 

無情にも機械音声がリスタートを

申し付ける。

 

オジサマは紳士らしからぬ

大きなため息をつく。

 

列の後ろから、早くしろ!

と罵声が飛ぶ。

 

『ごめんね、わしはどうも

機械が苦手で。なんか

迷惑かけたなぁ。』

 

『いや、おじさん、それよりも

今は一刻も早く終わらせましょう!』

 

私はオジサマを元気づけた。

 

もちろん、現金かもしくは

それに近いものを褒美として

貰うためだ。

 

ピ。ピ。ピ。

 

『そうそう、そこに名前。』

 

ピ。ピ。ピ。

 

『はい、電話番号。

合ってる?うん。

じゃ、確認ボタン。』

 

ピ。ピ。ピ。

 

『振り込みを受け付けました。』

 

 

『やった~!』
『やった~!』

二人は同時に喜んだ。

 

何か二人の間に

強い絆のようなものが

出来た瞬間だった。

 

『ありがとう。君のおかげで。』

 

『おじさん、まだ早いですよ。

そこから小さな紙が出て来て

それを受け取って、そうすれば

完了です。』

 

私ははやる気持ちを抑え

冷静に最後のアドバイスをした。

 

『ん?』

 

『どうしました?』

 

『いや、ここ。』

 

オジサマが指さすところ見ると

 

【手数料600円】

 

と書いてあった。

 

『はあ!手数はワシの方が

多かったじゃないか!

何で手数料を取られなきゃ

ならんのだ!』

 

『オジサマ、落ち着いて!』

 

オジサマは結局、私へのあいさつも

そこそこに、文句を言いに

銀行の中へ入って行って

しまった。

 

私は後ろの”早くしろ”の一声で

我に返り、自分の用事を済ませた。

 

この話は私が知る限り、

唯一の

 

『手数が多いのに負けた』

 

例だ。

 

褒美ももらえなかったし。

 

ナンノコッチャ

 

合掌

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