例えば、私の場合だと
メガネをかけていて
背が高い男前。
と説明される。
私のことを知らない人に
説明する場合だ。
男前の部分は良しとする。
だが、メガネをかけて
背が高いというのは
特徴と呼べるのか?って話だ。
例えば、私を説明するには
こう言うのがいいと思う。
元ミュージシャン志望の
サラリーマン。
この説明をされて私を紹介された人は
きっとこう思うだろう。
『ミュージシャンかぁ。』と。
勘違いしないで欲しい。
ミュージシャン志望だっただけで
ミュージシャンではない。
なのに私が調子に乗って
ミュージシャン側に軸足を置くと
おかしなことになる。
ただのサラリーマンなんだから
あくまでも軸足は
サラリーマンに置くべきだ。
分かりやすく言うと、
読者モデルなんかがそうだ。
あいつらときたらモデル側に
軸足を置いて活動してるから
始末が悪い。
とてもモデルとは思えない
体型をしているのに
モデルのように振舞う。
お前達は”読者”だろ?
何にも特別なことなんか
ないじゃないか!と
憤りさえ感じる。
実際、本物のモデルだって
それらの雑誌は読んでるだろうから
彼女たちだって読者モデルだ。
いや、モデルの読者か?
いやあ、すまない。
ちょっと取り乱してしまった。
私が言いたいのは
益若つ〇さの悪口ではなく
長靴下のピッピのことだ。
長靴下のピッピをご存知だろうか?
長靴下のピッピとは
アストリッド・リンドグレーンの
書いた童話だ。
簡単に説明すると、
退屈な毎日を過ごしていた
兄と妹の前に突如現れた
女の子がピッピだ。
彼女のことを説明する文章が
本文に載っている。
『ピッピは赤と青の洋服を着て
長靴下を履いている。
彼女はとても怪力である。』
と。
ここで問題が一つ生じている。
9歳の少女という設定のピッピは
特徴としては長靴下でなく
むしろ『怪力』の方ではないだろうか?
どこかの誰かがこの本を
和訳する際に、靴下のほうに
軸足を置いたもんだから
ヤマシタの逆鱗に触れるのだ。
ピッピの本名は長い。
もしかしたら怪力よりも
本名が長いほうが
特徴としては強いかもしれない。
彼女の本名は
ピピロッタ・ヴィクトゥアリア・
ルルガーディナ・クルスミュンタ・
エフライムスドッテル・ロングストルンプ
だ。
え?
最後の?
ロングストルンプって
日本語で『長靴下』って言うの?
シッツレイシマシタ
合掌