ああ、懐かしの昭和!
平成生まれには分からない。
昭和の流行は、現在の流行の
基盤を作ったといってもよい。
ヤマシタ研究所、通称ヤマシタラボが
お送りする昭和ノスタルジーシリーズ。
今回は第3弾ということでテーマはこれ。
『月曜日の子供達』です。
はじめに;
今と違って、当時の小学生は
土曜日も学校に行っていた。
通称『半ドン』と呼ばれる土曜日は
午前中だけで授業が終わる。
小学生は昼ごろ家に帰り
お昼ごはんを食べてからが
プライベートタイムの始まりだ。
傾向;
一日半ぶりに会う同級生が
月曜日の教室でやることと
言ったら、まあほとんどが
これら3つの内のどれかだろう。
あるある①;
土曜日に観たひょうきん族か、
もしくは8時だよ全員集合の
ギャグを全力で真似る。
あるある②;
土曜日の15:00から放送されていた
ヤンヤン歌うスタジオ。
通称『ヤンスタ』は小学生だけでなく
当時の若者はほとんどが観ていた。
月曜日になると番組内で行われた
『イーティークイズ』を披露する奴と
たまたま観れなかったため答えを
知らない奴らが回答者となり
昼休みヤンスタが行われる。
あるある③;
プロレスの技をかける奴。
今となっては信じられないが
土曜日のゴールデンタイムに
プロレスの放送があっていた。
月曜日になると弱っちい奴を
捕まえて新しいプロレス技を
試すのがその頃の月曜日の
正しい姿だった。
総評;
テンションが下がりがちの
月曜日を昭和の子供達は
このように共通の話題で
乗り越えていた。
そこには陰湿ないじめなどは
存在せず、明るい子供達しか
いなかった。
わずかに例外として、小柄で
体重の軽い男の子はその
体格からプロレス技をかけられる
対象となりやすく、はたから見ると
いじめに見えなくも無い。
ちなみにヤマシタのいた小学校では
マスイ君が一番の
技師(わざし)(*注1)だった。
おそらくだが5年生から6年生の
わずか2年間で、もしかしたら
日本で一番カナディアンバックブリーカーを
かけられた男ではなかろうか?
後日談;
マスイ君は中学1年のときに
教室の床でパイルドライバーを
14人から連続で受けた事に
嫌気が差し転校していった。
数年後、偶然同じ大学に
通っていたことが判明したのだが
大学の食堂でばったり会った
筆者に対し、マスイ君は
こう言った。
『もう大人やけ、プロレス
せんでね。』
スルカ!
合掌