愛用の腕時計は、奥様と二人でラスベガスに旅行に行った時に購入したFOSSILというブランドのものだ。ラスベガスで年末年始を過ごそう、とリッチな気分で行ったのは確か、スマトラ沖の津波があった翌年だから2005年のことだ。
到着して直ぐにホテルにチェックインし、200ドルを握り締めカジノに向かった。当時のレートでも日本にしておよそ24,000円くらいの軍資金だから、バクチ好きの私としてはちょっと物足りないのだが、奥様の監視の目があるため、贅沢も言ってられない。とにかく確実に増やすにはどうしたら良いかを考える。
少ない軍資金で確実に増やすにはルーレットが一番だ。私が得意なゲームの一つだし。とりあえず私はミニマムベットが25ドルのテーブルについた。
ミニマムベットというのは、「最低の掛け金を25ドルにしろよ」っていうルールのテーブルだ。軍資金の200ドルをチップに替えると8枚の25ドルチップが返ってきた。
ディーラーの横にはそれまでの20ゲームの出目が表示されている。表示板で確認すると黒が5回続いていた。私は迷うことなく赤にチップを3枚置いた。ディーラーがベルを鳴らす。「てめえら締め切りだぞ。これ以上賭けんじゃねえ!」の合図だ。
ルーレットの盤上を白い小さな玉が転がっていく。コロンコロンと小気味良い音がなり響き、すとん、と数字の書いた枠に収まった。テーブルのアチコチから歓声やどよめきが聞こえてくる。ディーラーがバリトンの利いた声で数字を告げる「ナンバーナイン」。
「9」は赤だ。つまり私のベットは見事的中したということだ。隣に座る奥様が大興奮で私の身体をペチペチと叩いていた。
「ねえ、当たったんやない?いくらになった?ねえ?」
「今のは等倍返しだから、75ドルの儲けやね。」
「え~、日本円でいくらくらい?」
「まあ、13,000円くらいかな?」
「・・・・す、すごいね・・・・」
普段、賭け事を一切しない奥様にとって、今のホンの一瞬の出来事で13,000円が手に入ったということが信じられないらしい。私は「さあこれからだ」と宣言し、そこからのゲームを7回連続的中させた。もちろん運もあるが、これは理論に基づいた賭け方だったので当たる自信はかなりあった。とはいえ、7回連続、最初の1回を入れると8回連続だからこれはすごい。自分で自分を褒めたくなるくらいだ。
もともと200ドルだった軍資金が670ドルに膨れ上がっていた。金額の大小ではなく何度も連続で的中させたことが返ってまずかった。ディーラーが交代したのだ。
実を言うとディーラーの癖というのがあって、私はそれをなんとなく見抜いていたのだ。だから何度も連続で的中させられたのだが、ホール側がそれに気がついてディーラーの交代を指示して来たという訳だ。
私は仕方なく奥様を促してテーブルを離れ、次の賭場を探した。
「ねえ、せっかく勝ってるのになんでやめるの?」
私は説明した。奥様は分かったような分からないような表情だったが、気にせずホールを廻る私にとりあえず着いてくる。
中国人が3人で座っているテーブルを見つけた。海外で、特にラスベガスなんかに来ている中国人はたいていが大金持ちで、ほとんどのやつらがバカラかブラックジャックで大金を巻き上げられている。私が見つけたテーブルもブラックジャックのテーブルだった。中国人の3人は全員がアホみたいな賭け方をしていた。ディーラーはホクホク顔だ。私は彼らの隣のシートを指差し「Can I ?」と聞いた。
中国人もディーラーも「sure」とそっけなく答え、ゲームに集中した。 結果はディーラーの一人勝ちだった。
私はまず、チップを50ドルのものに両替した。そして目の前に配られたクローバーのJの前に4枚のチップを置いた。次に配られたカードはJだった。中国人3人が嬌声を上げる。これでディーラーが私に勝つためにはブラックジャックを出すしかないのだが、手札を伏せているということは私の勝利がこの時点で決定したということだ。
ディーラーは手持ちのカードがエースか絵札のときに限り、全員に見せる義務がある。逆を言うと、ディーラーが手札を見せないということはエースか絵札以外だということだ。つまり手札が10でない限りブラックジャックにならないということなのだ。
勝負師の私はここで攻撃の手を緩めたりしない。2枚に重なったJのカードを横に並べ「スプリット」と宣言し、チップを2枚ずつ追加した。スプリットとは同じカードが配られたときにそれを2枚に分け、二つの組み合わせで勝負できるという技だ。私の掛け金はこれで400ドルということになった。はたして苦い顔をしたディーラーは更に1枚ずつのカードを私のJの上に置いていった。
結果は、一つがハートのエースでもう一つがスペードのキングだった。 ディーラーは悔しそうに私に500ドルのチップを寄越した。内訳はブラックジャックになった方の掛け金が200ドルだったので返しが1.5倍の300ドル。もう片方が等倍返しの200ドル。
これで私の200ドルの軍資金は1,170ドルに膨れ上がった。日本円にして約20万円だ。
気を良くした奥様から「今のうちになんか物に変えといたら?」という提案があったので、その足で免税店に行き、一目ぼれしたこの腕時計を買ったのだ。値段も5万円くらいと手ごろだったのもある。
しかも、この時計を買った次の日からルーレットもブラックジャックもスロットもバカラも負けまくり、最終的にマイナス25万円という不甲斐ない結果に終わった。 奥様は気分的に50万円くらい負けた気分だ、と口を尖らせ、「5万円の価値しかない50万円の腕時計だ」と私の腕時計を揶揄するようになった。
そんな「5万円の価値しかない50万円の腕時計」を私はこれまでに3度、無くしかけている。思い入れが強すぎて大事にしているにもかかわらず、なくしかけること自体おかしいのだが、つい置き忘れてしまうのだ。
3度とも温泉の脱衣所というのも、何かの暗示なのか? 幸いにも3度とも奥様が私の手首を見て、あの思い入れの強い腕時計が無いことに気がつき、
「ねえ、あんたの手首から50万円がなくなっとうよ。」
と教えてくれるのだ。おかげさまで今日も「5万円の価値しかない50万円の腕時計」は私の手首にまきついている。
ところが、だ。
つい先日、またもややってしまったのだ。 さすがの奥様も結婚14年を経過すると私の手首など見ているはずもなく、昼食を摂っているときに無いことに気がついたのだ。
どこだ?どこでなくした? 昼食前に立ち寄った温泉しかないじゃないか! 奥様は結婚14年を経過したので、まるでひとごとだという態度を崩さない。しれっとした顔で
「電話して聞いてみたら?」
と私に指示を出す。私は言われたとおりにするしかなく、温泉のフロントに電話して聞いて見た。
「腕時計をそちらに忘れたようなんですが・・」
「どんな時計ですか?」
私は自分の記憶から「5万円の価値しかない50万円の腕時計」のルックスを思い出す。 思い入れが強いから詳細まで思い出すのは容易な作業だった。
「FOSSILっていうブランドロゴが文字盤の中央上よりに刻印されてます。青い文字盤のクロノグラフです。」
「フォッシルってどんなつづりですか?」
「FOSSILです。青い文字盤にその文字が刻印されてます。」
「はい、大体どのへんか覚えてらっしゃいますか?」
「出入り口に一番近い脱衣箱の上から2番目です。そこのかごの中にあると思うんですよね。」
「はいわかりました。青い文字盤ですね。」
「そうです。青い文字盤です。」
「では、ちょっと脱衣場まで行って見て来ますので、後ほど折り返しこちらからお電話を差し上げます。」
「あ~、ありがとうございま~す!」
そして電話を切り、待つこと10分。
「あ、ヤマシタさんですね?ありましたけど・・・」
「あ、ありました! ん? けど?」
「ああ、文字盤が白なんですが。」
「あ~、じゃあ違いますね。私のは文字盤が青ですもん。」
「でもFOSSILって書いてるんです。」
「え?じゃあ、あれ?もしかしたら。」
「もしまだお近くにいらっしゃるのなら、ご確認に来られませんか?」
「分かりました、直ぐにうかがいます。」
そして私は昼食を食べ終わらない家族をレストランに残し、温泉まで車をとばした。
フロントで来意を告げると、電話で話していた人とは別の人が腕時計を持ってやってきた。
「これが脱衣場のかごに」
そうして見せられた腕時計は確かに「5万円の価値しかない50万円の腕時計」だった。
ただ、文字盤は白で、クロノグラフの部分だけが青かった。
「ああ、これですこれです。ほら、ここがちょっと青いでしょ?」
と説明する私は誰がどうみても「苦し紛れ」だったと思うが、確かに私の「5万円の価値しかない50万円の腕時計」だから、堂々とすればいいのだ。
ちょっと、記憶が曖昧だっただけ。
イガイトイイカゲン
合掌