657発目 現代も宿場町だという話。~後編~


月曜日の夕方、私は約束どおり彼らを訪ねて彼らの自宅に行きました。

 

リビングに通されると、見知らぬ男性がソファーに座ってました。男性はすごく太っていて、まるで相撲取りのようでした。 通り一遍の挨拶をし、お父さんが現れるのを待ちました。 しばらくすると、お父さんとお母さん、それと長女がリビングに現れました。

 

「悪ぃな、こんなとこまでわざわざ来てもらってよ。」

 

お父さんは、そうして隣に座る太った男性を私に紹介しました。

 

「こいつは、倅だ。長男だな。こいつの弟だ。」

 

そういって長女を指差した後、長男と呼ばれたその太った男性の背中をバンバンと叩きました。 長男はペコリと頭を下げましたが、その仕草さえも億劫そうに見えました。

 

「でよ、ちょっと状況が変わっちまってよ。こないだは、ココを建替えるって言ったと思うんだけどよ、引き取る俺の両親が住んでる家を建替えて、倅に住まわせようと思ってるんだ。」

 

詳しく聞くと、こういう事でした。

 

お父さんのご両親が現在住んでいる茅ヶ崎のご自宅を建替えて長男が家族で住む。両親は引き取って、この家に住む。この家は建替えずにこのままで同居をする。でも部屋数が足りないので長女が一人暮らしを始める。

 

「なるほど、分かりました。そうすると私が調査してきた内容はまるっきり無駄になりましたね。」

 

嫌味のつもりで言った私の一言が、相手にとってはジョークと思われたのか、お父さんもお母さんも笑っていました。

 

「ちげえねえ」

 

時代劇以外で「ちげえねえ」って言う人を見たのは、おそらくこれが初めてのことでした。

 

「そんでよ。こっからが本題なんだけどよ、こいつが住む家ってのはちょっと普通じゃねえんだよ。兄ちゃんのところで対応できっかな?」

 

確かに長男は普通ではないくらいの巨漢でしたが、もちろんそんなことは口に出せないので私は曖昧に頷くだけにしました。

 

「こいつはよ、去年まで相撲取りだったんだよ。 でもよ膝を壊して引退してよ。 んでもって、今後は部屋を持って若手を育てるっつうんだよ。 あれだよあれ。」

 

「あれ?」

 

「親方ってやつだよ。」

 

私は相撲の世界には疎いので、そんなに簡単に相撲部屋って開けるのか、と感心しました。実際にはどうなのか分かりませんが、後援会やお金をだしてくれるタニマチって呼ばれる人の後ろ盾で部屋を持つことはできるそうなんです。

 

それまで黙っていた長男が口を開きました。 口数が少なく、気配を消す感じは母親似なんだなと思いました。

 

「部屋自体は両国にあるんですが、たまに若手を呼んで自宅で食事を食べさせたり、地方出身の子を住み込ませたりしたいんです。」

 

つまり、彼が言うには茅ヶ崎の自宅には常時、デブが何人も出入りするというのです。

 

いや、もちろん彼の口からデブという単語は発せられませんでしたよ。 これは私が勝手に言っているだけです。「通称、デブの館」と頭の中で思いつきましたが、思いついたもの全てを言葉にするほど私もバカじゃありません。

 

「床補強をしてほしい。」

 

ピアノを自宅に持ち込む際に床補強をするという話は聞いたことがありますがデブを自宅に持ち込むから床補強してくれなんていう要望は初めてでした。

 

通常、住宅というのは床材を固定するために何本もの桟を格子状にめぐらせます。日本家屋のサイズというのはいまだに間(けん)サイズというものを採用していまして、一つの単位が910mmなんです。畳の短いほうの長さといえば分かりやすいですかね?

 

そのため、ゆかに張り巡らせる桟は455mm間隔で張り巡らせます。 これを根太(ねだ)と呼びます。 この根太を300mm間隔で張ることで床補強ができます。根太の数が通常の3倍にはなりますが、費用的にはたいしたことはありません。

 

「大体、体重が100kg超えたヤツが10人くらい集まります。」

 

長男が言いました。 つまり一度にその床に1トンもの加重がかかるということですね。 それは私の想像をはるかに超えてました。

 

「だとすると、根太補強だけじゃ足りませんね。」

 

根太をさせる部材を束(つか)といいます。基礎の上に四角いコンクリの塊を置き、そこから垂直に立てる棒状のものです。 これを鉄製のものにする必要もあるな、と思いました。 鋼製束(こうせいつか)と呼ばれるものです。

 

私はこれらの説明をノートに丁寧に書き記しながら行いました。

 

ノートに書かれた字をみて、長女が口を挟みました。

 

「これさ、すごくいいね。日本の歴史を感じるネーミングだね。」

 

長女は根太や束、などの部材の名前が気に入ったようです。

 

「授業で使えないかしら?他にはどんな言い方があるの?」

 

私は、ノートに家のイラストを描いて説明しました。 屋根の一番高いところが「棟(むね)」です、とか。これが切り妻屋根です、とか。こっち側が桁(けた)でこっち側が妻(つま)ですなどと、専門用語を並べ立てました。

 

「来月から新しい中学に赴任するからさ、1発目の授業でやってみたいな。 ヤマシタさん、もっと教えてくれる?」

 

するとお父さんが口を挟みました。

 

「なんだよ、お前、転勤かよ?こんな時期にどこに行くんだよ?」

 

「転職よ。公立の中学から私立の学校に移るの。 給料も上がるんだよ。」

 

「なんだよ、聞いてねえぞ、そんな話。 お前は知ってたのかよ?」

 

お父さんはお母さんに詰め寄ります。 なんだか雲行きがあやしくなってきました。

 

「私は聞いてましたし、お父さんも一緒にいた食事のときにこの子、言ってましたよ。」

 

どうやらお父さんは、聞いてたけど忘れたみたいでした。一気に形勢が不利になったにもかかわらず、まだ負けを認めないお父さんの姿勢は賞賛に値するものでした。

 

「聞いてたかもしんねえけどよ、まあいいや。で、どこに行くのよ?」

 

「ニコタマよ。」

 

「ニコタマ?」

 

「そうよニコタマ。ここからだと通勤できないから一人暮らしするにはちょうどタイミングが良かったのよ。」

 

どうやら、お父さんは長女の一人暮らしにあまり賛成ではなかったようです。 ぐぐぐ、と唇を固く結び怒りを堪えているようにも見えました。

 

「お前、国語の教師だろ?バッカだなあ、あれはよ、ニコタマって書いてるけど二子玉川(ふたこたまがわ)って読むんだぜ!そんなんで教師なんてやっていけるのかよ? もうよ、辞めちまえよ、教師なんてよ。」

 

お父さんは最後の反撃とばかりにまくしたてました。

 

お父さんの言うとおり、確かに二子玉川(ふたこたまがわ)が正式な読み方です。 長女は反撃しました。

 

「バカなのはお父さんでしょ?略してニコタマって言うのよ。」

 

「嘘つけ!じゃあ、新宿はなんて言うんだ?」

 

「新宿は新宿でしょ?」

 

「バカ野郎、新宿は略してジュクだろうがよ!」

 

「そんなこと言ってる人なんていまどき一人もいないわよ!」

 

「じゃあ聞くけどよ、おい、国語教師!」

 

もはやお父さんは興奮して、自分の娘を国語教師と呼んでいました。

 

「新宿なんて新しくもねえし、宿場町でもねえのに、なんでいつまでたっても新宿なんて呼ばれてんだよ!」

 

お父さんの意見を世間一般では支離滅裂って言うんだろうな、とぼんやり聞いてました。 さあ、国語教師はどう言い返す?

 

「今年の4月にパークハイアットがオープンしたでしょ!」

 

 

この勝負、長女の勝ち。

 

この出来事があったため、私は新宿のパークハイアットが1995年4月にオープンしたという記憶が鮮明なのです。

 

イジョウ

 

合掌

 

 

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