619発目 こぶのほうどる話。その1


ライナーノーツ

どこの地域の方言かは忘れた。 福岡県のどこかだったと思う。 「かさぶた」のことを「つ」と呼ぶ地域がある。 大学の頃に知り合ったヤツがそう言っていた。

 

「つが剥がれた~」

 

「「つ」って何のこと?」

 

「つは、つ、やろも。知らんと?」

 

「いや、初めて聞いた。」

 

「これたい。」

 

そう言って彼は自分の右腕を曲げ肘の部分を見せてくれた。 どこかで擦りむいたのか随分と大きな怪我のあとがあり、かさぶたで真っ黒になっていた。

 

「肘のことか?」

 

「違うっちゃ。これたい、これ!このガサガサした血の塊。」

 

「ああ、かさぶたのことね?」

 

「かさぶたっちゃ何ね?」

 

彼はかさぶたのことを知らなかった。 思えば彼は同じ福岡出身なのに私の地域とはまったく違う方言を喋っており、通じないこともしばしばあった。

 

「ぎゃん、えすか~。」

 

「どうした?」

 

「いや、これ。 えすかろ?」

 

彼が差し出したのは心霊写真が掲載されている雑誌だった。 なんとなく意味は分かったが念のため確認した。

 

「えすい?」

 

「これたい。えすかろ?」

 

「どういう意味?怖いってこと?」

 

「ああ、まあそうとも言うか。」

 

「お前の喋る言葉は時々分からない言葉があるぞ。」

 

「そげなわけ、あるわけなかろうもん。こっくらすぞ。」

 

「こっくらす?」

 

「冗談たい。」

 

この時、私は「こっくらす」は「クラす。」つまり叩くとか殴るの意味だろうと思ったのだが、彼が「冗談たい」と言ったので、てっきり「こっくらす」が「冗談」という意味だと勘違いした。

 

「で? その肘はどうした?」

 

「ぶっこけてからくさ。まだ痛かもんね~。」

 

「つ」とか「こっくらす」とか「ぶっこける」とか彼の喋る言葉には「つ」が多用されている。特に小さい「つ」を頻繁に入れてくる。

 

「チャリに乗って坂ばぶっ飛ばしよったらくさ、横から車が急に出てきてから、ブレキーばしたとばってん、いっちょん間に合わあせんで、ぶっこけたと。」

 

え~っと、つまり 自転車で坂道を走ってたら、横から急に車が出てきてブレーキをしたけど、全然間に合わなくてこけた。と。

 

ふと、彼が私の部屋の隅を指さして言った。

 

「あら?こぶのほうどりようぜ、そこ。はわいた方が良かやないや?」

 

「おい。全然分からんぞ。」

 

はわく、は九州の方言で「掃く」の意味だ。それくらいは分かる。だが「こぶのほうどりよう」は想像もつかない。

 

「何が分からんとや?」

 

「こぶのほうどりよう、ってどうゆう意味?」

 

「意味?って言われてもねぇ。 こぶはこぶやろ? それともあれか?サトルの地元じゃ、こぶはほうどりよらんとか?」

 

まったく分からない。 こういう場合は得てして前後の話の内容、つまり文脈から大体の想像がつくもんだが、まったく分からない。

 

「いや、俺の地元では、こぶはほうどりよらんと思うぞ。 って言うよりこぶって何?ほうどるって何?」

 

「こぶ知らんと?辞書とか辞典で調べてん。 俺だっちゃ何て説明していいか分からんぜ。」

 

「いや、ちょっと待て。それ辞書に載ってるか? ジャンルは何か?食べ物か?生き物か?」

 

「虫やろうも!おかしなこと言うねぇ。」

 

さっきからおかしなことを言ってるのはお前のほうだぞ、と言いたいのをぐっとこらえた。 虫? こぶは虫なのか?

 

「何ていう虫?」

 

「こぶっち何回も言いよろうが!」

 

「そやから、それが何か分からんって言ってるんだよ!」

 

「あ~、もう。紙と鉛筆貸してみ。」

 

そう言って彼はサラサラとこぶのイラストを描きだした。

 

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ゴ、ゴキブリ? ゴキブリのことか?

私は部屋の周囲を見回した。 彼が言うには、この虫が私の部屋で「ほうどりよる」らしい。それを掃け、と。

ますます意味が分からなくなる。

 

「念のため聞くけど、こ、これは何?」

 

「こぶやろも?」

 

「いや、ああ、そうか。お前にとってはそうか。 質問を変えるわ。 ゴキブリのことか?」

 

「あまめに見えるか?どう見てもこぶやろ?あまめはこげん黒くなかろうも?」

 

また、新しいのが出てきた。 こいつはゴキブリをあまめって言うのか。

 

「あら? もうこげな時間か。ほんなら帰るけん。」

 

お、お~い! 答えは~?

 

ツヅク

 

合掌

 

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