昨日までのどんよりした曇り空が嘘のように、頭上には青空が広がっていた。 コンビニエンスストアのレジの前にはアイスコーヒーを手にした会社員が列を作っている。 気温は28℃になろうかとしていたから、外回りの営業マンは一様に咽の渇きを感じているのだろう。
ようやく自分の順番がやってきて、ヤマシタは店員にアイスコーヒーの代金を支払った。 店の前はちょっとした広場になっており、周囲の植栽のおかげで少しばかりの木陰も出来ていた。 少し休もう、と思ったのはコンビニエンスストアの青い看板が見えたからだった。
コンクリートの段差に腰掛け、プラスチックの容器の入ったアイスコーヒーにストローを刺した。 店員は商品と一緒にミルクとガムシロップを手渡そうとしたが、ヤマシタはそれを断っていた。 経験上、こんな暑い日に甘いコーヒーを飲むと汗がいつもよりベタつくことを知っていたからだ。
一口、コーヒーを啜り空を見た。 雲がゆっくりと北のほうへ流れていた。 もうすぐ夏が来るんだな、とぼんやり思いながら、去年の今頃を思い出してみる。 去年の夏は札幌にいた。 例年より気温が上がってるとのニュースがテレビで流れていたが、ここ横浜に比べると札幌の夏は涼しかった。 でもまだ横浜は夏じゃない。
重い荷物を両手に抱えた初老の男性がヤマシタの正面から歩いてきた。 荷物はとても重そうで、額にびっしりと汗をかいている。 汗を拭こうにも両手がふさがっているからどうしようもないのだろうと想像してみる。
ヤマシタが座る斜め前の日陰と日向の境目くらいで立ち止まった初老の男性は、それでも荷物を地面に置くことはしなかった。 両手の荷物を持ったまま、器用に左肩を上げ下げして額の汗をぬぐった。
ペロペロペロ、と電子音が鳴っていることにヤマシタ気がついたのとほぼ同時に初老の男性も気がついた。 彼の胸ポケットに入れられた携帯電話が着信を知らせている音だった。
初老の男性はそれでも荷物を地面に置こうとせず、荷物を持ったままの右手で携帯電話をポケットから取り出そうとした。 しかし、うまくいかない。
今度はヤマシタの携帯電話が振動した。 ヤマシタは初老の男性から視線をスマートフォンの画面に移した。 通知を見ると知人からのメールのようだ。 画面にパスワードを打ち込みメールのアプリケーションを立ち上げようとしたとき、
「痛い痛い!」
と大きな声がした。 ヤマシタは視線を上げて声の主を探す。
「痛い痛い」
先ほどの初老の男性が、それでも荷物を両手に持ったまま叫んでいた。 先ほどとは違い、少し腰を引くような体勢になっていた。
「痛い痛い、あ~もう。」
良く見ると、胸ポケットとストラップで繋がった携帯電話がビヨ~ンと下にぶら下がり、振り子のように初老の男性の股間に当たっていた。
ぶら~んぶら~ん。こつ~んこつ~ん。
痛がる初老の男性はそれでもなお、頑なに荷物を両手から離さず、痛がっていた。
いったい、あの荷物の中には何が入っているのだろう?
ヤマシタはスマートフォンをポケット入れなおすと、夏が近づく青空を見上げ、そして初老の男性を一瞥し、小さくつぶやいた。
「平和だなぁ」
センソウハンタイ
合掌