552発目 住民票を移動する話。


さいたま3

 

人間がたくさん集まると、群衆の中に特殊な心理が働く。らしい。

衝撃的で興奮性が高まり、判断力や理性的思考が低下し、付和雷同を起こしやすい。と辞典には書いてある。「群集心理」という言葉を調べているのに、その説明の中に「付和雷同」という、またもや分からない言葉が出てきた。まあ、辞書を引くのは嫌いじゃないから、今度は「付和雷同」を調べてみる。

 

ふわらいどう【付和雷同】
自分に決まった考えがなく、軽々しく他人の説に従うこと。

 

区役所に手続きに来ていた。 今度の引越しのために住民票の転出届を出すためだ。 区役所の1階ロビーは、大変な混雑だった。 備え付けの書類の中から、私の目的の書類を見つけ出す。 そして、更にこれも備え付けのボールペンで、必要事項を記入していく。 さてと、と周囲を見回す。 書類に記入しだす前より更に人が増えているような気がした。 記入例、が書かれているところの余白に赤い字で「受付の番号表をお取りになってお待ちください」と記載している。 私は言われたとおり、カウンターの前に設置している番号表を吐き出すマシンのところに移動した。

 

電光表示板は「ただいま55番目です」と記している。 私はボタンを押した。 666番という白い紙が出てくる。カウンターには全部で6つの窓口があり、対応中の番号もそこに表示している。600番台を表示しているのは5番と6番の窓口の2箇所だった。現在の表示は610番と611番。 ふと時計を見ると11時55分だった。 ああ、もうすぐお昼休みだな、とぼんやり思った。

KC4D00060001

私はじっとカウンターでお客を捌く担当者の女性を見ていた。 一体、一人当たり何分で処理するのだろう?こちらから向かって左の女性はおよそ一人当たり1分5秒で処理している。大して右側の少し太った女性は2分だ。つまり左側の女性は約11分で10名を処理するのに対して左側の少し太った女性は6名しか処理できないと言うことだ。

 

ってことは、まあ大体10分間で二人合わせると少なくとも15名くらいの人達が処理されていくことになるんじゃないか?と暗算してみる。つまり?私の前に55人いるってことは45分くらいかかるのか。

 

だったら、待ってる間にお昼ご飯を食べてこようかな?という考えがチラリと頭に浮かんだ。

 

「628番の番号札でお待ちのお客さま~。」

 

カウンターの右側の少し太った女性が甲高い声で叫んだ。

 

「628番の番号札でお待ちのお客さま~。いらっしゃらなければ、取り消しま~す。」

 

ポピ~ン。 電光表示板は628番を飛ばして629番を表示した。すかさず、629番の番号札を持ってると思しき男性が前へ歩み出た。

 

なんと! こんな落とし穴があったのか。呼ばれても現れなければ、飛ばされるのか。そりゃそうだな。ずっとそいつが現れるのを待つわけにはいかない。

 

「630番の番号札でお待ちのお客さま~。」

 

このとき、群集心理が働いた。 カウンターの前で今か今かと自分の番号を呼ばれるのを待ちわびている人々が一斉に周囲を見渡すのだ。 最初は前列の奇妙な髪型のおばさんがキョロキョロとしたのだ。「630番はいないの?」とでも言いたげだった。それが周囲の人々に伝染し、最終的にはほぼ全員がキョロキョロしだした。

 

「630番の番号札でお待ちのお客さま~。いらっしゃらなければ、取り消しま~す。」

 

カウンターの右側の少し太った女性が630番を取り消した。 と同時に群集に安堵の息が伝染した。 よしよし、これで二人早まったぞ、と。 なるほど。これはお昼ご飯に行ってる場合ではないぞ。

 

そこからは順調に進んだ。が、643番でちょっとした事件が起きた。

 

「643番の番号札でお待ちのお客さま~。」

 

先ほどと同様に群集は周囲をキョロキョロト見回す。 私も釣られて「誰だ?」と首をぐるりと廻してみる。誰もいないな、と群集が安堵しかけたその時、柱の陰から作業着姿のおじさんが小走りで現れた。

 

「すみません、643番です。」

 

その瞬間、群集に憎悪にも似た雰囲気が溢れたのだ。 いや、それはもしかしたら大げさかもしれない。が、私にはそのように感じたのだ。 「こら、おっさん、ぬか喜びさせやがって!」と。

 

そこからも、ある程度、順調に進んだ。654、655番のときに再び事件は起きた。

 

なんと、二つの窓口に同時に年寄り夫婦が歩み寄ったのだ。 年寄りというのは、えてして行動がゆっくりしている。加えて、ろくろく説明を読んだりしないし、誰かの説明を聞いたりするのが苦手なのか、あれほどスキルの高い右側の太ってない方の女性でさえ、2分が経過したのに処理が終わらない。

 

私は恐る恐る周囲を見回す。 ああ、もうだめだ。 群集は憎悪と嫌悪と怒りの雰囲気を身に纏いだした。世が世なら、この年寄り二組に切りかかって行くのではないだろうか?とさえ、思わせる。

 

これはいかんぞ。でも私は大丈夫。 記入例もきちんと見て、何度も見直したし、誤字もない。番号を呼ばれたらすぐに対応できるように、今までの人たちを見てるから、財布から免許証も出してるぞ。667番以降の方々よ、私の順番が来たら、そうだな、1分以内で終わらせてみせよう!と心の中で宣言したいくらいだ。

 

おお、ようやく年寄り二人が終わった。群集の安堵の嘆息が聞こえてきそうだ。

 

「666番の番号札をお持ちのお客様~」

 

よし、オレの番だ。待ちわびたよ~。待ち焦がれたよ~。 どれどれ、おっ。右側のスキルの高いほうの女性じゃないか。 さ、そちら向きに書類を持ち替えて、番号札と一緒に免許証も出して、と。

 

「お客様、こちらの新しい住所はまだお決まりじゃ無いですか?」

 

何?!

 

あ!!!!! オレとしたことが!!!!!! 新しい住所を書いてないじゃないか! やばい! 群集に襲われる。群集心理が働く! 付和雷同だ!

 

 

 

私は恐る恐る後ろを振り返った。

 

 

群集は皆、うつむいて一心不乱にスマートホンをいじっていた。

 

考えすぎだったのね。

 

少し太った女性が笑ったような気がした。

 

クヤクショハ、タイヘン

 

合掌

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*