550発目 華麗なるオッサンの話。


ライナーノーツ

 

 

30代の頃は冗談で、自虐的に「俺も、もうオッサンだもんなぁ」とか言っていた。すると、大体は、「え~、そんなことないですよ~。若いじゃないですか~」と言ってもらえたものだ。

 

ところが40を過ぎたあたりから、雲行きが怪しくなる。

 

「いやあ、俺なんかオッサンやもんね。」

「いやいや、でもまだまだ元気じゃないですか!」

 

と、「オッサン」の部分は否定されずに「元気」という誰にでも当てはまるキーワードでお茶を濁される。そうすると、いかに鈍感な私でも「ああ、やっぱり俺はオッサンなんだ」という事に気付かされるのだ。

 

若いときに年上の人たちを見て「こんなオッサンになりたくないな。」と思った記憶がある。あれはどんなオッサンだったかな?と記憶の糸を手繰り寄せる。

 

「ヤマシタ君は音楽はどんなのを聴くの?プーム?」と聞かれ、何のことだろうと思ったんだ。プームなんて知らない、と答えるとそのオッサン上司は「今、流行ってるんだよ、若い子達の間で。知らないの?島唄。」と言われたんだ。ああ、「the BOOM」のことか、とそこで合点が行ったのだが、若い世代に擦り寄ろうとして、うろおぼえの知識を披露し、失敗するオッサンには、なりたくないと思ったんだった。

 

あれほどなりたくなかったオッサンに私はなってしまっている。昨日もそうだった。スナックで隣に座った若い男性客と仲良くなろうとして、音楽の話題になったんだ。

「この世の極み」と知ったかぶりをしたら、「それは多分、セカイノオワリのことですね」と言われ、「下衆の勘繰り」というと「それはミュージシャンじゃなく、ことわざですよ」と指摘された。

 

「嗚呼。カナシミのオッサン。」ってシングルでも出そうかな?

 

その若い男性客たちが今度は、カラオケを歌おうとしている。「オッサンも一緒に歌いませんか?」と私に言ってきた。「何っ!!!」と思ったが、「センパイも一緒に歌いませんか?」の聞き違いだという事に気がついた。危ない危ない。心が蝕まれてるな。

 

彼らのもう一つ向こう側の席に、凛とした男性が1人でウィスキーグラスを傾けていた。ウィスキーを飲み終わるとホステスを呼びつけ、会計をしている。会計を済ませ店を出て行く所作も凛としていた。対応したホステスは、凛とした男性を送り出し私の横に座った。

 

「ステキなオジサマだったね。」

 

私がそう尋ねると、彼女は

 

「でも、全然しゃべんないの。」

 

と言う。

 

「全然?一言も?」

 

「うん。相槌も打たないし、返事もしないし、目も合わせないし。ウィスキーって言ったきり黙っちゃって。でもあの人、常連さんなんだよね。」

 

「なんかお金持ちそうなオジサマだったよね?」

 

「しゃべんないから名前も知らないんだよ。だからお店ではみんなオジサマって言ってる。」

 

「いいなあ。俺もオッサンって呼ばれるよりオジサマって言われたいな~」

 

「ヤマシタさんはいっぱい喋ってくれるから、そのままでいいよ~」

 

ほら、やっぱり。

 

やっぱり「オッサン」の部分を否定せんやった。しかも「いっぱいしゃべる」という褒め言葉なのか、けなし言葉なのか判断のつかないコメントまで言われた。

 

「ねえ、女の子から見たら、どんな人はオッサン?」

 

「やっぱ、あれかな? 太ってておなかがぽっこり出てる人? と、クサイ人。加齢臭っての?」

 

その日以来、私は腹をへこませて日々を過ごしている。ポッコリを世間に悟られないように、腹に力を入れて過ごしている。世のオッサン達よ、抗おう。加齢に真っ向から立ち向かおう。それがアンチエイジングだ!

 

体質的にオッサン臭がするのなら、こう言ってやれ。

 

「これは加齢臭じゃない!」

 

「華麗臭だ!」

 

ムリガアルカ

 

合掌

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