本格的に積雪した札幌市は、道行く人の誰もがコートの襟を立てマフラーを首に巻き吹きすさぶ冷たい風と雪から身を守ろうとしている。私もご他聞に漏れずマフラーを首に巻いた。
北海道の人と話していると「意外だ!」と驚かれることの一つに、『福岡の人もコートを着るしマフラーもする』という事実がある。どうやら九州ってところは一年中、半袖半ズボンで過ごしていると思われてるぞ。
寒さを凌ぐために厚着をするもんだから、朝の電車でのラッシュがいつもより混みあっている気がする。全員がモコモコになっている。もしかすると、いつも徒歩や自転車で通勤していた人達が積雪のため電車通勤にシフトチェンジしたからだろうか?とにかく朝の電車内は見知らぬ人との密着で始まる。
北海道に引っ越してきてからの私は手袋も着用することになった。一番大きな変化だろう。福岡のときはポケットに手を突っ込んで歩けば良かったのだが、雪の上を歩くのにポケットに手を入れてたら、万が一、転んだときに手を着けないから危険極まりない。 かと言って手を出して歩くと寒くてしょうがない。だから手袋を着用しだした。
半年振りにマフラーを引っ張り出し首に巻く。お気に入りのマフラーは以前の職場の部下にプレゼントされた大事な品物だ。そして厚手のコートを羽織る、手袋をはめる。そうして駅に向かう。駅のホームで電車を待つ。手袋を外す。
最近は鞄を持たずに出勤しているので、外した手袋はコートのポケットに押し込む。マフラーはつけたままだ。
気温が低いところから電車内のように温度が高いところに行くと、私のアレルギーが反応する。私も知らなかったのだが「寒暖差アレルギー」というらしい。 その日も私は鼻が詰まっていた。アレルギーの症状としては軽いほうで、幸いくしゃみも出ない。混雑した電車内で鼻が詰まっていると息が苦しくなる。 私はこっそりと鼻をすすった。
『スポン』
という感触と同時に鼻の穴がスッキリした。トンネルが開通したような感触だ。
とたんに私の敏感な鼻腔が異臭をキャッチした。いや、察知した。 誰だ? このにおいは中年男性が発するあの臭いだ。そう。
『加齢臭』
鼻腔をつんざく異臭の元を突き止めなくてはならない。が、「まてよ」と思いとどまった。以前もこの様なケースで犯人が私だったこともある。私も加齢臭がするお年頃だ。誰かを責めるよりもまず、自分はどうなんだ!と自問自答しなくてはならない。
私は小さく深呼吸した。臭い。 深呼吸すら臭い。 は! もしかして! 私は自分のマフラーを嗅いで見た。 半年間、タンスの引き出しに閉じ込められていたマフラーがもしかすると犯人かもしれない。首に巻いているマフラーの端っこをつまみ鼻の位置までズリ上げてみた。 そして勇気を振り絞ってにおいを嗅いでみた。
「くさっ!!!」
コレだ~。犯人発見~! おまわりさ~ん、ここです、ここにいましたよ~。私はマフラーを外し、なるべく小さくたたみ右手に持ち替えた。 やばい、やばい。周囲の人にばれてしまうかもしれない。 地下鉄で異臭騒ぎなんて、オーム心理教以来じゃないか!
どうにか周囲にばれずに会社の最寄駅に到着した。本当は途中で捨てようかとも思った。だがこれは大事なもらい物だ。しかもお気に入りのマフラーだ。捨てるわけにはいかない。 事務所につくと私はすぐにロッカーの中にマフラーを放り込んだ。
バタン。
ロッカーのドアを閉めて、ようやく私は一息ついた。 だが、これでは何の解決にもなってないな。
臭いものに蓋をする
【クサイモノニフタヲスル】
都合の悪いことや醜聞が他に漏れないように、
一時しのぎの方法で隠すことのたとえ。
仕事が終わる時間が近づいた。私は今朝の異臭騒ぎの事などすっかり忘れてロッカーの扉を開けた。とたんにムワっとした異臭が私を襲った。ああ、そうか。そうだったな、と今朝のことを思い出さざるを得ない。今日はこのまま置いて帰ろうかな?そうすると明日はロッカーが一層 激しいにおいを発するんだろうな。
外は冬の雨が降っている。気温もマイナス3℃まで下がっている。 マフラーをしないと凍死するかもしれない。 命とロッカーを天秤にかけて私は命を選択した。そこから自宅に帰るまでの30分間は私にとって地獄の時間だった。
自宅に帰って、奥様にマフラーのにおいの件を話してみた。
「な~ん、おおげさやねえ。ちょっと貸してん。」
そう言い、私の異臭マフラーを手に取った奥様はおもむろにそれを鼻に近づけた。 やめろ!危険だぞ!という暇もなかった。
「うっわ!!! 何これ? 死体のにおいがする!」
慌てて洗濯機にマフラーを放り込んだ奥様は、その死体を綺麗にすべく、死体の成分を確認しないまま洗濯機のスタートボタンを押した。
数時間後、乾燥まで終わって戻ってきたマフラーは、とてもいいにおいのする、花のようなマフラーに様変わりしていた。私は奥様に感謝の言葉を告げた。
「本当にありがとう」
彼女はちょっと申し訳なさそうにしていた。 死体って言ったことを悔やんでいるのかな?ボクは気にしてないよ、と言おうと思ったら、
「ごめん。」
と彼女が謝ってきた。
「いや、こっちこそゴメンよ。北海道風に言うなら却ってすみません、やね。」
「いや、違うんよ。コレみてん。」
そういって彼女はマフラーを広げた。
大事なお気に入りのマフラーはネクタイくらいの大きさに縮んでいた。
モウ、イラン
合掌