亀が持ってきたリストは上から5番目にシルシがつけてあった。サカナは満足そうにうなづくと、タバコに火をつけた。池袋のフルーツパーラーに二人は来ていた。前回同様、背を向け合って座る。
「意外と早かったじゃないか?」
「知ってるか?そこに書いている男を?」
「オレは知らない。だがそうだな、雇い主なら知ってるかもな。」
「サカナよ、お前を雇ってるヤツはあれだろ?喫茶店のマスターだろ?」
ほとんど表情を変えずにいたつもりだったが、ほんの僅かな変化を亀に見抜かれた。背中で気配を感じ取られたのだ。
「やっぱりな。おい、報酬をよこせよ。 オレはこの件からはもう下りるからな。あとな、言っとくけどお前がやられることは無いと思うけど、手を焼くと思うぜ。」
「なんだ亀、お前リストの男を知ってるのか?それとも堺のことを言ってるのか?」
「マスターのことはどうでもいいんだよ。」
「リストの男がどうした?まさか、同業か?」
「ウサギって聞いたことあるだろ?」
「ああ、耳の穴から針を入れて殺す奴だろ?随分前に聞いたけど、実在すんのかよ?すげえ噂ばっかで信じられないくらいだよ。」
「ウサギは実在するに決まってるじゃねえか! サカナ、お前だって信じられないくらいのエピソードをたくさん持ってるじゃねえか。しかもお前は実在している。 いいか?ウサギは実在するんだ。」
「オレが負けるっていうのか?」
「近づかれなかったらお前の勝ちだろうな」
サカナはしばらく亀に背を向けて考えた。 物音がしたので振り返ったら亀はいなくなっていた。
ウサギの噂は今までにもたくさん聞いた。サカナがこの稼業に就いたときに仕事を取り次いでくれてた箱という男が、酒に酔うといつも言っていた。
「ウサギさんはよ、すげえんだよ。黙ってターゲットに近づくとよ、すっと針金みてえなヤツで耳の穴を刺すんだよ。先っぽには検出されない毒が塗ってあってよ、相手は傷みも感じずに死ぬんだぜ!」
「ウサギにさん付けしてんじゃねえよ。せめてウサちゃんって呼んでやれよ。」
「バカ野郎!お前はウサギさんのすごさが分かってない! そんな生意気な口を利いてるといつかウサギさんにブスっとやられるぞ」
このリストの上から5番目の男がウサギだと言うのか?サカナは考えたが、答えは出なかった。まあいい。サカナはターゲットに忍び寄り引き金を引くだけだ。飲みかけのコーヒーを飲み干すとサカナは店を出て堺に連絡した。
3日後、堺から指示が来た。やはりリストに載っていた男がターゲットだった。が、あの時、サカナが見た名前と堺が指示してきた名前が違っていた。
「ああ、あれは偽名だ。そこに書いているのが今、ヤツが使ってる名前だ。ま、それも偽名だろうし本人も自分の名前なんて分かってないんじゃねえか?」
「あ、そういえば亀が言ってたぞ。堺なら知ってるだろうって。堺は知ってんのか?こいつ、ウサギって殺し屋だろ?」
「なんだ、サカナ。ウサギを知ってんのか? そうだよ。オレが知ってる限り、もっとも危険な男だよ。仕事の成功率が100%なんだよ。分かるか?100%だぞ。一度もミスをしてねえんだぞ」
「簡単な仕事ばっかりやってるからだろうが。お前が知らねえだけでどっかで失敗してるかもだろ?おおげさなことばっか言ってんじゃねえよ。何だよ成功率って?誰が統計取ってんだよ?」
「お前は本当にバカだな、サカナ。まあいい、とにかく俺の監視の結果とウサギの行動とは裏が取れたから今から行ってサクっと始末して来いよ。報酬は、ほい、これな。残りは終わってからだ。」
「何がサクっとだよ。バカ野郎。人殺しをすんだぞ。簡単に出来るかよ!しかも相手は凄腕のウサギちゃんらしいじゃねえか。報酬もコレじゃ少ねえよ。」
「分かった分かった。清宮さんに言っとくよ。なんだよサカナ、お前にしちゃ珍しく金を欲しがるじゃねえか。釣竿でも買うのか?」
「そんなもん会社に行けば捨てるほどあるんだよ。まあいいや。とりあえず今日から取り掛かるからな。ウサギのヤサの近くに監視所を用意しとけよ。今晩から始めるよ」
「監視所はもう用意してるぜ。ほらよ。」
堺はメモと鍵を渡すと立ち去った。サカナは早速、道具を車に積み込み監視所に向かった。 監視所は清瀬駅から歩いて15分くらいのところに建つ、目立たないアパートだった。 アパートの窓からそっと覗くとウサギが住んでいる家が見えた。 普段は普通のマイホームパパをしているようだ。サカナと同様、ヤツにも裏と表の顔がある。 サカナは今回、九州の実家に帰る口実で翌週の月曜日に有給休暇を取った。ウサギを仕留めるのにサカナに許された時間は3日間だった。土曜日から始めて火曜日には会社に行かなければならない。 まあ、3日もあれば十分か、と軽く考えていた。
監視一日目の夜、ウサギが駅の方へ歩いて行くのが見えた。 サカナは早速、尾行を開始した。
息子家族を囲んでの夕食は奈美恵にとって幸せな時間だった。食事が終わると孫がフルーツを食べたいと言っていた。夫が買って来てやると、珍しく自分からお使いをすると言い出した。奈津美は玄関まで夫を見送りに出た。
「おい、ウチの屋根裏には、くもの巣は張ってるか?」
夫は奇妙な質問をし、財布を奪うように奈津美から取り上げると玄関を開け出て行った。リビングに戻ると息子が話しかけてくる。
「父さん、珍しいね。お使いに行ってくれるなんて。」
「でもね、変なのよ。今、出掛けに、ウチの天井裏にくもの巣は張ってるか?なんて聞いてくるの。なんのことかしら」
「ああ、オレも最近さ、奇妙な出来事があったんだよ。仕事で外回りしてたらさ、公園で高校生達がホームレスをいじめてたんだよね。そんでさ、こらーって怒ったら、そいつらくもの子を散らすように逃げていったんだよ。 言うよね?くもの子を散らすって。 そしたらそのホームレスがさ、くもの子を見たことあるかって聞いてくんだよ」
「何ソレ?気味の悪い話ね。 あんたも気をつけなさい。薄っぺらな正義感出したりして逆に高校生に刺されて死んだなんてことになったら泣くに泣けないわよ。」
「大丈夫だよ、正義感は父さん譲りだからさ。今更、なおんないよ。」
奈津美は笑っていたが悪い予感がしていた。 夫が出かけてから20分後、隣の奥さんがインタホンを鳴らしてきた。テレビモニタで確認した。
「どうしたの?奥さん、こんな時間に」
「ちょっと八島さん!おたくの旦那さんが!」
奈津美は玄関を飛び出した。 門柱の横には夫が倒れていたが一目で死んでいるのが分かるほどだった。眉間のところに直径2センチほどの穴が開いており、そこから血が流れていた。眼は見開かれている。 どうした?と息子が出てきて異変に気付く。 奈津美は薄れ行く意識の中で、息子が父さん父さんと叫ぶ声を聞いていた。
ツヅク
合掌