大きな吹き抜けのあるエントランスから奥に進むとチェックインカウンターが左手に見えてくる。 ここは都内でも、高級と言われるホテルだ。 ドアボーイが慇懃にお辞儀をするのを横目で見ながら更に奥へと足を進める。 カウンターの正面に床から天井までを一面ガラス張りにしたスペースがあり、テーブルとソファーが20セットくらい置いてある。 ガラスの向こうには手入れの行き届いた日本庭園も見える。 外資系のホテルなのに日本庭園かよ!と思いながらお目当ての人物を探す。
大きな柱のところから右手は一段上がっている。 その柱の横の二人がけのテーブルの上でノートパソコンを触っている男性を見つけた。
2週間ほど前にかかってきた知り合いからの電話の内容はこうだった。
『ヤマシさんを紹介してくれってさ、何度も何度も電話をかけてきてしつこいからさ、ヤマシタさんの連絡先を教えてもいいかい?』
私はそんな得体の知れない人に気安く連絡先を教えないでくれと懇願する。 すると彼は一旦電話を切ってまた折り返すと言った。
10分ほどすると先ほどの彼から電話があった。
『今度の水曜日の13時にホテルのロビーで会おうって言うんだ。 俺の顔を立てると思って行ってあげてくんないかな?』
しょうがないので私は承諾した。 この彼にはお世話になっている。 彼が言うには都内の、それも私でも知っている有名なホテルだった。 私は行ったことはない。 そこでギンガムチェックのジャケットを着て胸に紫のポケットチーフを刺しているのが目印だと教えられた。 髪型はロングで後ろで一つに束ねている。そしてメガネをかけている。 その特徴だけで必ず見つけられると彼は豪語した。
『その人、名前はなんて言うんですか? まさかドン小西じゃないですよね?』
『あっはっは。 ドン小西かぁ。 それもいいね。 いや、実は私も本名は知らないんだ。 みんなはマッサンって呼んでいる。 40代半ばくらいの人だよ。』
『なんすか?それ。 みんなはって。みんなって誰ですか?』
『みんなはみんなだよ。 新宿でよく行くスナックの常連でさ。』
『その人に何をお世話してもらったんですか?』
『う~ん、何だっけか? 忘れちゃったよ。 とにかくさ、頼むよ。』
『どうせ、女でしょ?』
『女だったかも知んない。ま、じゃ頼んだよ。』
お人好しというか暇人というか、かくして私は水曜日の13時少し前にこのホテルに到着したのだ。 私が見つけた男は確かに言われたとおりの格好をしている。
こういう時、私は相手の心理を想像する。
彼は朝起きて、メモ紙を見る。 え~っと今日会う人はヤマシタという若い男だ。 確かギンガムチェックのジャケットで行くと言ったから、そうそうこれこれ。 そして紫のポケットチーフっと。パンツはどうしようか? お!これいいじゃん。 濃紺のスラックス。これで行こう。
そうして彼はここにやって来たのだろう。 向こうは私の顔を知らないはずだから私から声をかけるしかなさそうだ。 しばらくは近づかずに観察してみる。
マッサンと呼ばれる男はコーヒーを飲んでいた。ノートパソコンの画面を覗き込んでいるがちらりと腕時計を見た。 そしてエントランスの方を振り返って私を探している。 顔も知らないのに。 あまりじらしても可哀想だから私は静かに近づいた。
『失礼。 マッサンですか? 私はヤマシタです。』
彼は立ち上がり満面の笑みで握手を求めてきた。
『ああ、忙しいところ申し訳ありません、無理言って。 ユウキさんの紹介のヤマシタさんですね?』
どうやら、彼は名乗る気も名刺を出す気もないらしい。 もしかすると名刺すら持ってないのか? それなら私も名刺を出す必要はないな。
『すみません、出掛けに慌ててて名刺を持ってくるのを忘れてしまったようです。』
『ああ、いいのいいの。 俺も名刺切らしてるから。』
挨拶が終わるととたんになれなれしい口調に変わった。 パタンとノートパソコンを閉じる。 彼の向かい側のソファーを私に勧めながら自分もそのソファーに座った。
『で、ご用件というのは?』
『まあ、そう急がずに。 コーヒーでいいかな?』
彼は私の返事も待たずにウエイトレスを呼んでホットコーヒーを頼んだ。 私は彼の顔をじっと見つめた。 ドン小西ではなさそうだ。 でも胡散臭い。 一体これから何が起きるのだろうか?
ツヅク
合掌