ひょんなことから、記憶がよみがえることが多々ある。 仕事で北海道庁を訪ねた。 用事があったフロアーは4階だったためエレベーターを使った。 エレベーターでは私と外国人観光客と思しきリュックを背負った若い男性の二人きりだった。 男性は6階のボタンを押した。 鼻歌を歌っている。 どこかで聞いたことのあるメロディーだった。 だがタイトルが思い出せない。
『エクスキューズミー』
思い切って話しかけてみた。 それはなんという曲ですか?と聞きたかった。 だが英語でなんて言っていいか分からなかった。 『ん?』みたいな顔で先を促そうとする外国人。 私は悩んだ挙句、4階で降りるのをあきらめ、彼と一緒に6階まで行った。 考えた挙句、こう聞いた。
『What music is this ?』
彼はとても流暢な日本語で 『クイーンのボヘミアンラプソディーだよ』 と教えてくれた。 彼の上手な日本語を褒めた後にありがとうと言い、私は彼の元を離れ階段で4階に向かった。 階段を降りながらも頭の中は 『マザー、ウィウ~』 が流れていた。 4階で用事を済ませた後、庁舎の前の通りを1本挟んだ西側にある北大植物園に立ち寄った。 ちょうど昼食時だったので道庁の売店でサンドイッチとコーヒーを購入し植物園で食べようと思ったのだ。 入り口で120円の入園料を支払い北方民族資料館の脇を抜け池のほとりにあるベンチに腰を下ろす。
サンドイッチの包みを広げようとしていたら先ほどの外国人が池のほとりにしゃがみこんでいるのが見えた。 ヘイ!と声をかける。 彼は振り向き相好を崩した。 むしゃむしゃと何かを食べている。
『what are you doing』 と尋ねてから、そういえばコイツ、日本語ペラペラやったなと気付く。彼はまたしても流暢な日本語でこう答えた。
『私は食べることの出来る草を見分けることができます。』
これが私のランチだ!とも言った。 確かに植物園だから草は売るほど生えている。しかし昼飯に雑草を食べるかね? 気色悪くなった私は彼を無視した。 とそのときに小学生の頃の記憶が蘇った。
あれは確か学校の遠足で横代にある農事センターに行ったときだ。 私は6年生だった。 6年生の仕事は1年生の手を引いてあげることだ。 私が担当になったのは目のくりっとした可愛い少女だった。 彼女は遠足であるにもかかわらず、弁当を持参してなかった。 じゃあ、お兄ちゃんのを分けてあげようか?と聞くと、草を食べるからいい、と断るのだ。
それぞれがレジャーシートを広げ仲良しの友達と弁当を食べようとしたとき、彼女だけはセンター内をうろつき食べられる草を探していた。 やがて両手にいっぱいの雑草を抜いてきて、お兄ちゃん、一緒に食べようと言うのだ。
あまりにも可哀想だったので私は担任の先生に相談した。 先生は何か苦い虫でも噛み潰したかのような顔をし、放っておきなさいと私に忠告した。
そんな彼女とは家の方角が同じだったので、しばらくは登下校を一緒にしていた。 だが夏休みが終わったある日、突然引っ越した。 あとになって聞いたのだが、彼女は虐待にあっていて、お母さんと二人暮らしだったがそのお母さんが麻薬所持で捕まってしまい、親戚に預けられることになったらしい。 彼女の母親は娘に食事を与えなかったため、自然と雑草を食べるようになったと思われる。
ご飯を作ってもらえない子供が苦肉の策で雑草を食べていたことを思い出し、少し涙が出そうになった。 この目の前の外国人ももしかしたらネグレクトの被害者で、幼少の頃の癖が抜けてないのかもしれない。 そう思うといたたまれなくなって、私は4つあるサンドイッチの一つを彼に分けてあげることにした。
『May I 』
とサンドイッチを差し出す私を嬉しそうに見つめ、外国人は近づいてきた。 私からサンドイッチを受け取ると彼は満面の笑みで私に 『日本人は本当に親切だ。』と感慨深そうに言った。 私は気にしなくていいよ、君もつらかったんだね?と言うと不思議そうに見つめ返してきた。
『君はさっきから草を食べてたよね? もしかして幼少の頃につらいことでもあったんじゃないのかい?』
すると彼はこう説明した。 世界を放浪しているあいだに身に付けた技術なんだ、と。 放浪者だからBohemian Rhapsody を歌ってたのだろうか? Bohemian は ” 放浪 ” という意味があったはずだ。
そして自信満々にこう言い放った。
『I’m vegetarian』
ベジタリアンかぁ。
虐待じゃなかったのね。
ってゆうか、そこは英語なのね。
ザッソウハベジタブルジャナイ
合掌