詐欺の被害として警察に届けを出したイチだったが、音楽業界自体に不信感を持ってしまった。他の3人もあれ以来、元気がない。そんな時にまたバンドはピンチを迎える。
『大学受験をしようと思ってるんだ。だからバンド活動を少し控えようと思う。』
サンがミーティングのときにぽつりと言い出した。あの事件以来、親も心配していて、つまりはバンド活動自体を反対しているらしかった。3人はサンの将来をジャマするつもりはないからと、彼の意見を尊重した。
ベーシストを失ったバンドはレギュラーのライブだけは知り合いのバンドのベーシストにヘルプを頼みなんとかこなした。だがそのライブの仕上がりは決して『良いライブ』とはいえないものだった。
ロックがその提案を申し出たのは、街中にクリスマスソングが流れ出した12月の寒い日、いつものようにスタジオでベース抜きの練習をやっている最中だった。
『アメリカに行かないか?』
二人は悩んだ。つても何もないアメリカで果たして自分たちの演奏技術が認められるのか?そもそもアメリカは日本よりもシビアであることで知られている。言葉の壁もある。何よりイチとレイは学生だ。親の援助で生活している。アメリカ行きを決断したとして親になんて言えばいいのか?反対は必至だ。だが夢はつかみたい。
『アメリカンドリームだよな。やるか?どうせ今のままくすぶっていても埒が明かないよ。』
『アメリカのどこに行こうって言うんだい?ロック。』
『シアトルさ。知り合いがいるんだ。住居はとりあえずその知り合いのところを間借りしたらいいさ。シアトルといえばクロコダイルカフェだ。そこのクラブは有名無名を問わず様々なバンドが日々ショーを繰り広げている。オレ達もそこに行ってライブをやろうぜ!グランジロック発祥の地だからな。』
『シアトルかぁ。俺、ジミヘンの墓参りに行きたいなぁ。』
こうして夢を語っている間だけはあの忌まわしい詐欺事件を忘れることが出来た。その週末、イチとレイは地元に戻りそれぞれの親を説得した。それぞれの両親は学校を卒業することを条件とした。東京に戻りロックにそのことを告げた。smug!は翌年の4月にアメリカ行きを決めた。
イチとレイが学校を卒業し、その足で成田空港へ向かった。所持金は僅か15万円。エアチケットは片道分だけ。売れるまで帰国するつもりはない。成田空港を16:10に出発したデルタ航空は快適な空の旅を提供してくれた。レイは緊張のあまりウイスキーをがぶ飲みしてあっという間に寝てしまった。9時間半後、3人はシアトルタコマ空港に立っていた。
ライトレールに乗り市街地までやってきた3人は早速、クロコダイルカフェに下見に行った。このクラブはR.E.Mのギタリスト、ピーターバックの妻が1991年にオープンさせたライブハウスだ。毎日、アマチュアやプロのミュージシャンなどがライブをやっている。基本はどんなミュージシャンにもステージを提供するというスタンスではあるが、オルタナティブロックには特に重きを置いている。かつてニルヴァーナが絶頂期にここでショーをしたことでも知られる。
一旦、ホテルにチェックインし、休憩してから夜になってもう一度クロコダイルカフェを訪れた。3人が立ち寄ったその日は地元のアマチュアバンドがライブをしていた。入り口のゲートでパスポートを見せて20ドル支払うと腕にギターのスタンプを押してくれる。
中に入ると400人くらいは観客がいただろう。もしかして地元でも有名なバンドなのかなと思いながら立っていると、周囲が暗くなりステージに明かりが灯った。観客の歓声と口笛とに出迎えられメンバーがステージに上がってくる。ロックがイチとレイの耳元で囁いた。
『このバンドのベーシストをスカウトしようと思ってるんだ。』
おお!メンバーに外国人!カッコいい!
スネアドラムの軽快な音が響きだした。それに併せるようにうねりのあるベースラインが重なる。ズドンという爆音と共に始まったギターのリフが観客を揺らす。ホールは一気に熱気に包まれた。レベルはかなり高かった。ギターの音作り、パフォーマンス、楽曲の完成度。そして何よりこれから自分たちのバンドに引き入れようとする予定のベースのすごいこと。ピックを使ったりフィンガーのみで弾いたり、曲調にあわせ、これが一つのベースから出てくる音なのか?と疑うほどに様々な音色を出していた。
40分ほどのステージが終わり、3人はバーのほうに戻った。3人が座るテーブルに先ほどのベーシストが近づいてきた。
『hey! long time no see!』
サングラスを外したベーシストはロックと抱き合った。イチとレイは驚いている。その男はトリだった。かつてニューヨークに行くと言ってバンドを脱退したトリだったのだ。
『びっくりした~。元気だったか?トリ。一段とうまくなったじゃんかぁ。』
『ああ、ホント久しぶりだな。でもホントに来たんだな。冗談かと思ってたよ。』
『電話で話したとおりさ。オレ達3人は本気だ。なあ、トリ。オレ達のバンドでベースを弾いてくれよ。』
『もちろんさ。今のバンドはヘルプなんだ。俺は今フリーだよ。どこにも所属してない。』
『まじかよ!やった~!』
イチとレイはとても喜んだ。
『ところで俺が加入する予定のバンドは何て名前なんだい?』
『smug だよ、トリ。お前の前任のベーシストが着ていたTシャツのロゴから拝借したのさ。』
『はっはっは。smugかぁ。そりゃあいいや。オレ達にぴったりだ。』
『早速、明日から演奏したいんだ。どこか手ごろな練習スタジオはないかな?』
『練習スタジオなんてこの国にはないよ。みんなガレージで練習してる。俺んち、といっても親戚のおばさんちなんだけどさ、そこのガレージにはドラムセットもアンプも全て揃ってるぜ。』
『じゃ、明日の何時からする?』『おいおいそれよりもとりあえず何か食おうぜ、腹ペコだ。』
4人はそれから閉店までの間、ずっと思い出話をしながら酒を飲んだ。翌日、トリの家を訪れると早速、4人はガレージでセッションした。前日に渡していたsmugのデモテープをトリは全て聴き終えており、初めてのセッションであるにもかかわらずピタリと音を合わせてきた。4人がこのバンドはイケルと確信した瞬間だった。
それからのsmugは驚くほど順調だった。きっかけはライブを観に来てくれた地元の大学生が学内のFM局で局を流したいと言って来たことだった。彼が気に入ってくれたACIDはsmugの代表曲と言っていい。快諾したらとても喜んでくれ翌日から街中でACIDが流れ出したのだ。
ラジオから流れる曲がきっかけで様々な音楽関係者がライブを観に来るようになった。ある時は地元ケーブル局のインタビューも受けた。だがメジャーレーベルから声がかかることはなかった。
クロコダイルカフェでショーを終えた4人がいつものようにバーで食事をしていると1人の男性が近づいてきた。合席していいかと尋ねられたのでどうぞと、席を一つ空けた。カフェの店長が近寄ってきてトリに耳打ちした。トリは驚きの表情を浮かべ日本語で3人に説明した。
『この人、バージンレコードのプロデューサーだって!』
『マジかよ!』
そのプロデューサーはヘンリーと名乗った。ヘンリーは先ほどのショーがとても良かったと褒めてくれた。技術的にもメジャーで通用するとも言ってくれた。
『だが、君たちには最大の欠点が一つだけある。』
ごくりとつばを飲みその後の言葉を待った。4人は手に汗をかき緊張した。
『君たちはその、あの・・、とてもいいにくいんだが、ルックスが非常に、悪い。』
英語に慣れてきたとは言えイチとレイにはうまく聞き取れなかった。
『つまり、君たちは大衆向けじゃないって事だ。だがその欠点を逆手に取る方法がないことはない。』
『どうすればいいんですか?』
『バンド名をsmug ではなく slag にするべきなんだ。いや、それよりもむしろ fugly の方がいいかな?』
slag【slˈæg】
役に立たない人、売春婦などと訳されるが、ここではおそらく『ブス』という意味。
fugly【fuckin’ ugly の 造語、スラング】
非常に醜いという意味。
『何?何?どういう意味?』 イチとレイはトリに尋ねた。
『不細工だってよ。オレ達。ブスなんだって。』
4人のルックスは確かに醜かった。全員が小太りで頭髪は薄くファッションセンスがない。そして顔が全員、福笑いを失敗したみたいに目鼻の配置がおかしい。
4人は音楽の技術を上げることにこだわり続けルックスを最も軽視していたのだ。
『君等のルックスだとミュ-ジックビデオが売れないんだ。だからメジャーレーベルは敬遠するだろう。君等の国でもそうだと思うが、ここアメリカでも年々CDの売上は落ちている。だからどのレーベルもCDとミュージックビデオを販売するんだ。プロモーションにもなるしね。ほら昔の歌で video killed the radio star ってあっただろ。世の中はあの通りになったんだよ。』
4人は愕然とした。もうバンドなんて辞めて日本に帰ろうかとさえ思った。
『でも、さっき逆手に取る方法があるって言ったよね?その方法って何?』
『ああ。だから言ったとおりさ。バンド名をfuglyにして不細工を売りにするんだ。アメリカ中の不細工キッズ達に夢を見させてやれるかもな!』
そう言って男性は立ち去った。
それから4年後。
4人は今、アメリカ国内のドームツアーをしている。あの日、ヘンリーの助言を受け入れた4人は、醜いルックスを武器に日本から来た不細工4人組としてメジャーデビューし、それをアメリカ国民が受け入れた。彼らの功績は多くの不細工キッズ達を勇気付け、彼らのコンサートには国中から不細工が集まった。
一説によると彼らのコンサートの日に街に繰り出すと、そこには美人やイケメンしかいないと言われている。なにしろ街中の不細工は全員、fuglyのライブに行ってるからな。
教訓。
人間は見た目じゃない。
長らくのお付き合いありがとうございました。
合掌