260発目 命からがらの話。


ランカウイ

マレー半島の西方沖、タイとの国境近く

プーケットの南に50km付近にある

マレーシアのランカウイ島は

さほど有名ではないが、綺麗な海と

鷲が有名な島だ。

 

2004年12月25日

クリスマスで浮かれていた福岡を

脱出し、私はランカウイ島に向かった。

 

途中、クアラルンプール空港で

入国審査を済まし、国内線に乗り換え

ランカウイ空港へ向かった。

 

トランジットの3時間はきつかったが

無事に夜の8時に空港に到着。

タクシーで向かったのは、島の

西側にあるベルジャヤランカウイリゾートだ。

 

コテージと水上シャレーで構成された

このホテルは、敷地の半分は丘で

残りはビーチという好立地だ。

メインエントランスを抜けると

他の建物よりひときわ高いのが

チェックインカウンターやレストランが

あるメイン棟だ。

 

実は出発の前日にキャンセルがでて

急遽ホテルを変更した。

それまではシェラトンに泊る予定だったが

コテージのほうが興味あったのと

料金が若干安いことが決め手になった。

 

ここでホテルを変更したことが

後の私達の生命線となる。

 

さて、移動で疲れた私達は

チェックインを済ませたら

部屋に入るなりシャワーも浴びずに

文字通り泥のように眠りに就いた。

 

翌朝、天気は快晴で

シャワーを浴びた後、ビーチに

降りて写真を撮り、今日の行動を

決めるべくメイン棟のロビーに

向かった。

 

カウンターにおいてある

オプショナルツアーのガイドを

見比べ、カヤックのツアーを

申し込んだ。

 

電話で問い合わせたところ

ホテルのフロントで15時に

ピックアップとのこと。

 

時計を見るとまだ10時だ。

ゆっくりと朝食を摂り

フロントのホテルマンに話しかける。

 

『ピックアップまで時間があるんだ。

なにか時間がつぶせるところは

近くにないのかい?』

 

『お客様、それでしたら

このすぐ近くに、この島で

最も高い位置にある展望台へ

上るロープウェイがございます。

島を一望できますよ。』

 

『そこへはどうやって行けば

いいのかな?』

 

『徒歩で10分程度です。

この道をまっすぐ下るだけですよ。

そうすれば右側に見えてきます。』

 

私達はそのロープウェイ乗り場に

向かった。

 

乗り場の周囲はちょっとした

モールになっており、レストランや

フードコートもある。

 

雑貨屋を数件のぞいた後、

お目当てのロープウェイに

乗り込む。

このロープウェイに乗ったことも

後の私達の生命線となる。

 

4人乗りの客席は私達夫婦と

中国人のカップルだけだった。

 

時計を見ると針はもうすぐ

12時を指そうとしていた。

 

頂上の展望台に到着し

眼下に広がる海を眺めた。

 

『ねえ、思ったより海が汚くない?』

 

『ホントだ。汚れてるね。』

 

パンフレットの謳い文句と違うじゃないか。

 

西の方に見えるスマトラ島の

右端はバンダアチェという街です。と

説明書きのプレートがある。

 

時計を見ると12時10分だった。

 

おなか空いたね。

降りて昼飯でも食べるか。

 

私達は下のモールで食事を

することにした。

 

食事を済ませホテルに戻ると

ホテルマンが私に近づいてきて

ミスターヤマシタ?と

話しかけてきた。

 

非常に残念なお知らせです。

本日のカヤックツアーは中止になりました。

明日以降に振り替えますので

次の連絡をお待ちください。

なんだよ!急にキャンセルって

そうゆうもんなのか?

と憤るが仕方がない。

 

翌々日、フロントから連絡が入り

カヤックが出来る準備が整いました。

どうぞフロントへお越しください。

とのこと。

 

ピックアップされてカヤックの現場に

向かった。

 

そのツアーは日本人観光客を

専門に取り扱うツアーで

私たち以外の客も

日本人カップルだった。

 

『どこから来たんですか?』

 

『福岡からです。そちらは?』

 

『私たちは横浜です。

いつから来られてるんですか?』

 

『25日の夜に到着しました。』

 

『えーー!大変だったでしょう?』

 

『何が?』

 

『何がって、津波ですよ!』

 

『津波?!』

 

詳しく説明してもらうと

こうゆうことだった。

 

スマトラ島の先、バンダアチェの南南東沖

で地震が発生し、津波が起きた。

あのプレートに書いてあった街だ。

バンダアチェもこのランカウイも

そして50kmも離れたタイのプーケットも

被害にあったらしい。

 

私たちが当初 泊る予定だった

シェラトンに関しては3階までが

被害にあっており、けが人も

数十人出たとのこと。

 

ベルジャヤのビーチも

その当時、遊んでいた人が

数人被害にあっている。

 

ホテルを変更してなかったら

我々も被害にあっていた。

そして、津波が到着した時間には

その島で一番高いところにいた。

九死に一生を得たのだ。

 

その頃、日本ではニュースを見た

私の同僚達が大騒ぎをしていたらしい。

私の実家に電話をし

『ヤマシタが津波に

飲み込まれました』と

私の父親に告げ、父親は

外務省に電話をし、外務省はNHKに

行方不明者リストとして私の名前を

テロップで流すように指示した。

 

無事に帰国し、お騒がせしたことを

各方面へ謝罪して周り、最後は

実家へ挨拶に向かった。

 

『いやあ、お前ら死んだと

思ったわい。』

 

と、笑いながら話す父が

ビデオに撮ったぞと

見せてくれたのは

テロップで流れる行方不明者リストの

私と女房の名前の録画だった。

 

シナナクテヨカッタ

 

合掌

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