605発目 ハンカチを持たない話。


ハンカチ王子

お父さん、もしウチがお金持ちやったらデュエルマスターのカードが山ほど買ってもらえるのにね。

 

息子が屈託のない笑顔で、庶民的なウチの経済事情をディスって来た。

 

卑屈になってはいかん。 そう決意した私は金持ちが如何に不便で不憫な生活かを訥々と説くのであった。

 

「お父さんの同級生にどえらい金持ちの息子がおってね。」

 

「いいなぁ。」

 

「なんもいいことなんかなかったぞ。」

 

そして実在した金持ちの同級生の話をしてやるのだった。

 

そいつの名前はダイスケと言って(ダイスケに関してはこちらを参照→218発目 ダイスケからの贈り物の話。) 小学校の時のクラスメイトだった。

 

私はダイスケが自分の父親が社長で金持ちだと豪語しクラスの全員から無視されていた。その話をしてやると息子も神妙な面持ちになった。

 

「デュエルマスターのカードをたくさん買ってもらえるけど友達が一人もおらんくなるのは嫌やろ?」

 

 

数日後、息子のお友達がウチに遊びに来ていた。 小学生のくせにヴィトンのトートバッグを持っていた。着ている洋服はポールスミスで、生意気にもハンカチを持っていた。金持ちの倅やな、とピンと来た。

 

小学生でハンカチを持っているヤツなんてろくなヤツじゃない、という偏見を私は持っている。そいつはダイスケと入れ替わりで転校してきたマスイだった。

 

マスイは金玉がはみ出そうなくらいのピッチピチのデニムのショートパンツにサスペンダーという出で立ちで私達の前に現れた。

 

当時、私が通っていた田舎の小学生にすればサスペンダーすら珍しい品物で、クラス中がどよめいた。

 

放課後に一旦帰宅した後、公園で野球するために集まったときも、マスイは見たこともないような高級な自転車に乗ってやってきた。 その自転車はロードマンというらしい。18段変速ギアがついており、最高速は時速40キロになるとマスイは言っていた。噂には聞いたことがあったが実物を見るのは初めてだった。

 

そうなると野球はそっちのけで「乗らして乗らして」とまるで角砂糖に群がる蟻のようにマスイの自転車の周りには人だかりができた。

 

じゃんけんで勝った者から乗れることになった。一番乗りは2コ下の小汚い男だった。名前は忘れたが確か、そいつのお姉ちゃんが私と同級生で「ナウマン」というあだ名の太った女だった。

 

ナウマンの弟は足の届かないマスイの自転車にまたがり颯爽と駆け出していった。公園から姿が見えなくなりしばらく戻ってこなかった。 マスイが心配しだした。

 

「ねえ、あの子あのまま自転車持って帰るんじゃないのかなぁ?」

 

「大丈夫ちゃ。そんなことしてもあいつの家は分かっとうけん、すぐに取り返しちゃる。」

 

だが、マスイの心配は的中した。待てど暮らせどナウマンの弟は帰ってこなかった。 遠くでサイレンの音が聞こえる。

 

「サイレンや!パトカーか?」

 

「いや、救急車やない?」

 

「近いぞ!」 「行ってみよう!田口商店の方や!」

 

そこにいた全員が自転車に乗って公園を出ようとした。私はオロオロするマスイを後ろにのっけて田口商店へ急いだ。

 

田口商店の方に曲がる交差点にパトカーが来ていた。 制服の警官が二人立っている。その横にがっくりとうなだれたナウマンの弟と鉄の塊があった。

 

鉄の塊はマスイのロードマンだった。

 

「どしたんどしたん?」

 

田口商店のばあちゃんが説明してくれた。

 

「あの子が猛スピードでそこの角を曲がって来て車に轢かれたんよ。救急車も来て大騒ぎやがね。」

 

「なんであいつは、そこにおるん?」

 

「あんた、そりゃあ、轢いた車の運転手の方が大怪我したんやが。あの子はこけてすりむいただけよ。そこ見てん。車が停まっとるやろ。」

 

ばあちゃんが指差した方角にはフロントガラスが粉々に割れた軽自動車が電柱にめり込み、静かにたたずんでいた。

 

ハッキリ言ってナウマンの家は貧乏だった。家も借家だしオヤジさんは仕事をしてないし、兄弟姉妹は全部で7人いるし、おばちゃんもナウマンもデブやし。

 

私達は子供ながらに、どうするんだろう?と心配したほどだった。

 

数日後、マスイに聞いた話によるとナウマンの弟に轢いた車の運転手が入っていた保険会社から見舞金が振り込まれたそうだ。 ナウマンの母親がマスイの家に来て栗饅頭を差し出しながら説明したそうだ。

 

「保険金で自転車を弁償しようと思ってましたが、そのお金を持ってウチの亭主が逃げました。お金は必ず何とかしますので、しばらく待ってください。」

 

近所でも評判の悪かったナウマンの親父の噂は子供の私の耳にも入ってきた。

 

「あのプータローは保険金持ってトンズラしたらしいやないか。」

 

「おお。最近引越して来たマスイんちの倅の自転車もまだ弁償してないのにのう。」

 

「でもあいつ昨日、隣町の小林酒店の角打ちにおったぞ。」

 

「競輪でも行ったんやねえんか?」

 

マスイにその話をしてやると、教室で泣き出した。 「ボクの自転車、戻って来ないんだぁ~」 と。

 

マスイに同情するクラスメイトは一人もいなかった。 まず、この町の少年達は男が人前で泣くことに違和感を抱く。そして涙を一生懸命ハンカチで拭く姿に全員が嫌悪感を抱いた。

 

「芝居がかっとる。 なんで男のくせにハンカチを持っとるんやろ?」

 

それからどれくらい経った頃か忘れたがナウマンの家は夜逃げした。

 

マスイは夜逃げした事実を知らされるとまた泣いた。そしてハンカチで涙を拭いた。 そのときも誰も同情しなかった。 それどころか 「袖で拭け、袖で」 というヤツまでいる始末だ。

 

私は息子の友人のポールスミスの服を着た少年にその話をしてやった。

 

数日後、校区の夏祭りでポールスミス君の母親に会った。 母親は私達夫婦に向かって挨拶した。

 

「ウチの子がいつも遊んでもらってるみたいで、お世話になります。」

 

「いえいえ、こちらこそ。」

 

「最近は家に帰ってきてもヤマシタ君の話ばかりで。おかげで以前より明朗になった気がします。」

 

「それは良かった。うちの子が迷惑かけてるんじゃないかと思ってヒヤヒヤしてたんですよ。」

 

「ただ、最近学校にハンカチを持って行きたがらないんですよねぇ。」

 

ああ、お母さん、それはマスイのせいですよ。

 

トハ イエナイ

 

合掌

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