ビルエバンスのWalts for Debby
が流れている。
店内に客は少なく、カウンターに
私を含め4人が座っているだけだ。
私から一番遠い位置に座る男性、
つまり入り口から一番奥の席だが
どうやら常連のようだ。
私がこの店を訪れるのは今日で
3回目だが3回ともあの席に
座っていた。
おそらく3回ともスコッチを
注文している。
私はせっかくの北海道なので
ニッカをストレートで注文し
チーズをつまみにチビチビと
飲んでいる。
私と常連の間に座る若い男女の
カップルはビルエバンスなど
知らないのだろう。
先ほどから音楽が聞こえないような
大声で話している。
とはいえ、話しているのは
一方的に男性のほうだった。
自分と付き合えばこんな特典が
あるんだとアピールしている。
じゃ、なにか?
お前は特典目当てで
近づいて来た女に
魅力を感じるか?
と言いたいが、ぐっとこらえる。
『オレさ、休みの日はさ
大体、沖縄とかに行って
サーフィンしたりさ、するんだ。』
とかってなんだよ、とかって
沖縄以外はドコだよ!
『あ、オレ今乗ってる車さ
8台目なんだけどさ、
ポルシェ知ってる?ポルシェ。
それのカブリオレ。
分かる?屋根が開いて
オープンカーみたくなるんだ。』
いる?8台目って情報いる?
『映画館ってヤじゃね?
オレは大体、家で観るんだ。
ま、確かにみんなの話には
リアルタイムでついてけねえんだけど
家だとゆったり観れるじゃん?
ああ、ウチさ、プロジェクター
なんだ』
家に来いってアピールか?
『腕時計、これ、良くね?
一番のオキニなんだけどさ。
12個くらい持ってるなかでさ
これが一番気に入ってる。』
ヤバイ。
突っ込みたい。
色々と言いたい。
12個くらいってあんた
くらいって言ってる割に
けっこう具体的な数字やん!
きっちり12個なんやろ!
って言いたい。
『いや、オレ全っ然モテねぇよ。
だって女の子苦手だモン。
でも君にはなんだか
素直に話せるっつうか・・』
でた!
君だけは他の女と違うんだ戦法!
『あ、帰る?
じゃさ、送ってくよ。
大丈夫だよ、今日はアルコール
飲んでないからさ。
どこ家? あ、オレ?
オレは平岸だけど。
あ、宮の沢? 』
あ、テンション下がった!
そうだよな、平岸と宮の沢じゃ
真逆の方向だもんな。
『あ、そうなんだ?
友達が来るの?これから?
男友達?え?あ、そう。
じゃさ、これオレの
LINE ID 。 またさ
会おうよ。 ん? 会計?
いいよいいよ、オレが払っとく
からゆっくりしてってよ。
じゃ、マスターこの子
よろしく!』
男は慌しく出て行った。
女は大きくため息をついた。
カウンターの右端の男性が
女の方を見ずに
『お疲れさん。』
とグラスを上げた。
私も釣られて
『お疲れ。』
と言い、グラスを上げた。
女はふっと笑い、カウンターの
おっさん達を交互に眺め
マスターに向かって
グラスを上げた。
『あいつ、良く来るんですか?』
女はマスターに尋ねた。
マスターはグラスを磨きながら
にこりともせずに答えた。
『初めておいでになるお客様です。』
きっと彼女はこれから
彼に付きまとわれることに
なるのだろう。
私は会計を済ませた。
本音を言うと私の自宅は
宮の沢から近いので
送って行っても良いのだが
それだとあまりにも
露骨過ぎるからやめた。
店を出て地上に出ると
そこは別世界のように
騒々しかった。
もう夜中の2時を過ぎているというのに
ススキノの喧騒は静かになることを
恐れているかのように。
あちこちで男が女に
声をかけている。
若い奴らはパートナー選びに
必死になっている。
私はいつものタクシー乗り場
に足を向けた。
信号の手前の一方通行出口に
先ほどの男が車で待機していた。
ああ、あの女が出てくるのを
待ち伏せしてるんだな。
可哀想だな。
あきらめられないんだな。
可哀想だな。
振られたのに気付かないんだな。
可哀想だな。
ポルシェじゃないんだな。
ケイジドウシャ
合掌