柱の影に寄り添うように立っているカップルがいた。
柱側に女性、こちらに背を向けているのが男性だ。
男性は柱に左手をつき、右手で彼女の髪の毛をくるくるしている。 顔と顔をひっつけ合い、耳元で何かをささやいている。注意深くささやく様は、まさにワム!、つまりケアレスウィスパーだった。
大衆に見せ付けたいのか、家に帰るまで我慢できないのか、その理由は判然としないが、彼らは一向に「いちゃつき」をやめる気配がない。
乳飲み子を乳母車に乗せて近づいてくるママが私の横を通り過ぎようとし、カップルに気がついてクルリと方向を変えた。 きっと、子供に見せたくなかったのだろう。 母親としては賢明な判断だと思う。
結局、私が待ち合わせた相手が来るまで、いや、来てもなお「いちゃつき」は止まる事を知らず続いていた。
「すみません、ヤマシタさん。少し遅くなりました。」
「いえいえ、私も今来たところです。」
私は通り一遍の相槌を打った。 当然、相手は言葉を額面どおりに受け取るわけでもなく、こちらとて散々待たされましたよ、と答えるわけにも行かず、上手な嘘が大人同士ならではの成立をみせていた。
「とりあえず、どこか落ち着けるところに入りましょうか?」
相手が提案してきたので、私はすぐ近くのビルの2階に見えている看板を指差した。
「あそこなんか、どうです?」
一面がガラス張りになっている喫茶店だった。 いや、全面禁煙のお店だから喫茶店と呼ぶのはおかしいな。そう。 いわゆるカフェだ。 相手が同意したのでエスカレーターでそのカフェに向かう。
店に入ると店員が近づいてきて「2名様ですね」と尋ねてくる。 店員は私達を窓際の席に案内した。 そこはカウンターになっており、外の景色が見渡せるのだが、商談相手と隣同士に座るというのはなんとも居心地が悪い、が仕方ない。 店内で二人が座れるスペースはそこしか空いてなかった。
注文したコーヒーがすぐに運ばれて来て落ち着いたので、本題に入る前の雑談タイムになった。
「いやあ、すみません。出掛けに電話がかかってきて思いのほか長引きまして・・・」
再度、謝るということはやはり先ほどの私が発した「今来たばかり」は嘘だと判断したんだな、と妙に感心しながら次の言葉を待った。
「コーヒーショップにしては静かで良いところですね。」
そうか。コーヒーショップか。 カフェでも喫茶店でもないんだな、と再び感心しながら私は返事をした。
「そうですね。商談には持って来いの場所ですよ。ところでさっきまで待っている間にあそこのカップルを観察してましてね・・」
私はそう言って、先ほどのカップルを指差した。
「ず~っとあの調子なんですよ。そしたらそこに乳飲み子を乳母車に乗せたお母さんがやってきてですね・・」
私は自分が見て来た一部始終をまるで上司に報告するかのように詳細に説明した。
「もうかれこれ30分くらいやってますわ。」
すると彼は意外そうな顔をして、尋ねてきた。
「ヤマシタさんって失礼ですけどおいくつなんですか?」
多分、驚いた顔をしていたと思う。 だっていちゃつきカップルの話をしていたのに、いきなり年齢を聞かれたからな。
「え?46ですけど何か?」
もしかして46にもなってカップルのいちゃつきを見ているなんて趣味が悪い!と怒られるのか?
すると、意外にも彼は違うところを指摘してきた。
「最近、乳母車って言いませんよ。」
え?
そこ?
聞くは一時の恥だ。 思い切って聞いてみた。
「じゃあなんて言うんですかね?」
「ベビーカーですよ。」
ああ、そうか。
喫茶店はコーヒーショップで乳母車はベビーカーか。 どんどん日本語が英語になっていくなぁ。
「でもワム!のケアレスウィスパーは知ってますよね?」
「え?分かりません。ラストクリスマスなら分かりますけど。」
教訓
若い若いと思ってても、いつの間にか歳は取っている。
モウスグクリスマス
合掌