「終わりました」
堺が一言いうと電話は切れた。大きく息を吐いた堺はサカナに電話した。
「報酬はどうする?今日、取りに来るか?」
「それどころじゃねぇよ。」
「どうした?いつもなら眼の色変えて飛んでくるじゃないか?」
「人を金の亡者みたいに言ってんじゃねぇよ。相打ちだよ相打ち。ウサギの奴、両手縛り上げられてるのにオレの目ん玉に毒針を飛ばしてきやがったんだよ。」
「でも生きてるじゃないか。」
「とっさに解毒剤を飲んだからな。箱にウサギの手口を聞いてて良かったよ。あ、それとよ、残りの報酬は亀に取りに行かせるからよ、いつもみてえにピンクの付箋を貼っといてくれよ。」
「なんだ?お前、亀のことを使い走りにしてんのか?いい身分だな、おい。まいいや、オレも来週から香港だから明日までに済ませときたいんだよ。明日、連絡するからな。亀さんにもそう言っておきな」
電話を切ったサカナは両手を縛られたまま亀を見上げた。
「のろまな亀ちゃんにオレがやられるとはな。」
「箱ってのはあの箱か?前にお前を拉致しようとした?お前がつぶしたんだろ?あの組織はよ?」
「よく知ってるじゃねぇか。箱の奴はウサギちゃんを尊敬してたんだよ。いっつも酔うとすげえすげえって言っててよ。」
「お前、ウサギさんのことは知らねえっつってたじゃねえか。まあいいや、とにかくお前はここで終わりだよ。殺っちゃだめな人を殺ったんだ。地獄で後悔しろよ。」
「待て。最後に一つだけ教えてくれ。誰に頼まれた?」
「蜘蛛の子だよ」
八島はもう一度亀と出会った公園に来ていた。亀は向こうから会いに来ると言っていたが八島は待っていられなかった。ベンチに座りぼんやりと父親のことを思い出していた。小さな頃の記憶はないが、家族で旅行に行ったりしたことは確かになかった。運動会や卒業式にも出てくれなかった。でも八島は父親が大好きだった。
「暴力は絶対にダメだ。暴力は相手の自尊心を削り取る最低の方法だ。だからお前は暴力を使わずに問題を解決する方法を学ぶんだ。」
父親の口癖だった。八島は父親の喋り方や独特な表現方法が大好きでかなり自分も影響を受けてると思っている。そんな父親が死んだ、その事実を受け入れることが出来なかった。気がつくと涙が溢れていた。もっと父親に色々教えてもらいたかった、もっと話したかった、自分の未来に光をともして欲しかった。溢れる涙をぬぐおうともせずに1人ベンチで泣いた。
となりに人の気配がしたので、慌てて涙をぬぐった。そこには清潔そうなスーツを着込んだ亀が座っていた。あの時のような異臭もしない。
「亀さん・・・」
「あなたが知りたがっていることを全て話します。と言っても私の知ってる範囲ですがね。」
「教えてください!お願いします!」
「あなたのお父様は我々の業界ではウサギと呼ばれてました。あなたのお母さんはあなたを生んですぐに対抗組織の巻き添えで亡くなりました。それまではウサギさんは調査専門だったんですが、あなたのお母さんの仇をとるために実践の世界に足を踏み入れたのです。もともと才能があったウサギさんは対抗組織に見破られないように別の家庭を隠れ蓑として用意しました。」
「それが今の・・・」
「そうです。今のお母さんにもウサギさんは本当のことを話してません。秀行さん、ウサギさんはあなたのことや今のご家族のことを心底 愛してました。私との間で決めていたことが一つだけありました。」
「母さんが本当の母さんじゃないってのは、直接 母さん本人から聞きました。ショックでしたが、それよりも僕にとっては父さんが死んだことの方が受け入れられなくて・・。決めていたことって何ですか?」
「暗号と言うか、合言葉みたいなものです。」
「何ですかそれは?」
「ウサギさんが仇を討とうとした相手は想像以上にでかい組織でした。もしかすると仇を討つ前に自分がやられるかも知れない、とそうおっしゃってました。」
亀はハンカチで手のひらの汗を拭いた。大きく息を吐くと続けた。
「蜘蛛の子を散らすって故事があります。知ってますよね?」
「ええ、僕が亀さんと初めて会ったときに、確か・・」
「あなたの口からその言葉が出たので驚きました。ウサギさんと決めていたことがそれなんです。」
「どういうことですか?」
「対抗組織は常にウサギさんを監視していました。だから相手に悟られずに色々なことを実行しなくてはなりません。そのために一つだけ決めていたのはウサギさんにもしものことがあったときに私が八島さん家族を守るという約束です。」
「聞きたいことがありすぎるんだけど。」
「池袋の家電量販店に行くとテレビがたくさん並んでるでしょ?あそこに蜘蛛の子供が逃げて行く動画を流すんです。それが合図です。逃げろ!という意味でそうしました。そしてあの日、つまり私があなたに会いに行った日、その動画が流されました。」
「あの日って、いつですか?親父がしんで野次馬が家の前に集まっていたあの日ですか?」
「いえ、この公園です。私がいきなり近づいてもあなたは私の話を信用しないだろうから、高校生にいじめられるという方法を取りました。」
「でも僕が助けるとは限らないじゃないですか?」
「あなたは必ず助けるはずでした。ウサギさんはいつもおっしゃってました。あいつの正義感はオレなんかよりはるかに強い、と。」
八島は涙が溢れた。父親が自分のことをそんな風に思っていてくれたのが嬉しかった。
「あの数日前、私はある人からの依頼で人探しを請け負いました。依頼主が探してた人のリストを見つけた私はそのリストを依頼主に持って行こうとしました。そこに載っていた名前は以前、ウサギさんが使っていた名前だったのですが、確信がなかったから直接本人に聞いてみました。依頼主は知らないと言ってました。ウソをついている風でもありませんでしたし、依頼主には更に別の依頼主がいるような口ぶりでした。そして私は少し鎌をかけました。」
八島は父親が死んで悲しい気持ちと、父親が自分の認めていてくれた嬉しい気持ちの間で情緒が不安定になっていた。加えてこの亀の話を聞いているととても現実の話とは受け止めがたかった。
「あの、もしかして亀さんは父を殺した人を知ってるんですか?」
「はい。サカナという男です。私は鎌をかけました。そのリストの名前がウサギさんだったら、お前の方がやられるぞ、と。でもサカナは本当に知らない様子でした。それと私は本当にウサギさんがサカナにやられるとは思わなかったのです。私のミスです。お父さんが亡くなったのは私のせいなのです。」
「いや、亀さんは悪くないよ。確かにそのリストをあなたがサカナという人に持っていかなかったら父は死なずに済んだかもしれない。でも今の話を聞く限り、いずれは殺されてたんじゃないかと思うんだ。ひとつ聞きたいんだけど、いいかい?」
「はい何でしょうか?」
「亀さんとうちの父とはどういう関係なんだろうってさっきからずっと思ってたんだ。」
「私はウサギさんの弟子でした。10年ほど傍で働いていたんです。」
「え?じゃあ、亀さんも人を?」
「ええ、殺しました。今までに数え切れないくらい。私は頭の回路のどこかが壊れているんです。人を殺すことに何の感情も抱きませんでした。でもウサギさんに出会ってからは徐々に人間の感情を取り戻しました。ちょうど20年前にウサギさんは私にこう言って現場から退くように説得されたんです。」
「なんて?」
「暴力は絶対にダメだ。暴力は相手の自尊心を削り取る最低の方法だ。だからお前は暴力を使わずに問題を解決する方法を学ぶんだ。」
それは八島が幼少の頃に父親から教わったあの言葉だった。
「それ以来、私は殺しを辞め現場から退いたのです。でも秀行さん、あなたが望むなら私はウサギさんの仇を討ちたい。」
亀は拳を握り締めていた。八島も父を殺した相手が憎い。そして自分の生みの親を殺したその組織も憎い。だが、父のあの言葉が・・・
「暴力以外で解決する方法はあるんですか?」
「私もソレを考えていたんです。でも実行犯に対してはそれは無理です。殺し屋に素手で立ち向かって説得するなんて、それこそ自殺行為です。」
「分かりました。亀さん、そのサカナという奴は始末してもらえますか?その上で、父が壊滅させようとした組織に一糸報いる方法を考えましょう、暴力以外の方法で」
亀はもう一度事件の詳細を八島に説明した。首謀者は清宮と堺とサカナだ。サカナだけは暴力以外で対抗できる相手じゃないので、今すぐ始末に行く、と言って亀はベンチから立ち上がった。
「母が、」
八島が座ったまま口を開けた。
「母が最後に聞いた言葉は蜘蛛の巣は張っているか?だったそうです。」
亀はピクリと動いた。
「どうしました?」
「家になにかあるかもしれません。秀行さんは屋根裏を見ておいていただけますか?」
そういうと亀はあっという間にいなくなった。
ツヅク
合掌