遮光


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 読んでいる途中の胸のモヤモヤが気色悪くもあるし、逆に心地よくもある、そんな不思議な小説だ。ミステリーのような「どうなるの?このあとどうなるの」に近い感覚にもなる。カテゴリーと言われると非常に分類が難しい小説だ。しかしあえて言うなら「恋愛小説」だろう。

 

主人公は瓶を持っている。主人公は美樹という言う恋人がいる。美樹は元風俗嬢で同僚に郁美という女がいる。郁美は美樹のことを嫌っているが主人公のことは気に入っている、ような気がする。美樹はシアトルに留学している。

 

この物語は最後まで主人公の名前が明かされない。私が今まで読んだ小説の中ではおそらく、初めてだろう。

 

主人公は日常的に嘘をつく。言葉も態度も行動もすべて嘘である。そうした方がいいと思うし、何より自分もその方が気分が良い、という理由からだ。 だが、物語の中盤で主人公の幼少期が明らかになる。主人公の回想シーンだ。

 

それによると、幼少期に起きた悲しい出来事が要因でふさぎ込んだ主人公にある男がアドバイスしたことで、主人公は「そんな風に見える人」を演じるようになるのだった。

 

して主人公は美樹と出会う。そうした方が良いと思いながら主人公は美樹との付き合いを深めていく。本心ではない。ただ単にそうした方が良いと思うからだった。そのはずだった。

 

だが、すでに主人公の心は美樹のことでいっぱいだった。そのことに気がつかない主人公は色々な「もの」や「事」を演じすぎて、自分の本心すら分からなくなっていた。

 

そして美樹は死んだ。

 

最愛の恋人の死を受け入れられない主人公は尚も演技を、そして嘘を重ねていく。周囲の友人たちにも美樹の死は内緒にして、あたかもアメリカのシアトルに留学しているという「体裁」をとっていた。

 

主人公の心は美樹が死んでからも美樹に奪われ続けていた。朝起きて、街に出かけようとする。そうした方が良いと思うし、その方が気分が良いと思えるからだ。だが、実際はそうではなく、そうしないことが面倒なだけだった。美樹に奪われた心も次第にむしばまれて行き、主人公は周囲の心配をよそにどんどん暗い闇の淵に落ちて行こうとする。そうする方が良いと思うからだった。

 

普段、人は最愛の人の近くにいたいと思うし、それが無理なら近くに感じたいと思うだろう。最愛の家族と離れて暮らす単身赴任のお父さんは家族の写真を身に着けるだろうし、実家から遠く離れた大学に通う娘は地元に残してきた恋人からもらったピアスを毎日つけるだろう。

 

孫のあなたを世界で一番愛してくれたおばあちゃんが亡くなったとき、あなたはきっとその形見として、おばあちゃんを思い出させる何かを一つ、貰っただろう?

 

そう。形見だ。最愛の人の死を受け入れられず、まだそばにいるような気にさせる物の代表格は「形見」なのだ。

 

主人公にとって、美樹の死は到底受け入れることのできないものだった。だから主人公は美樹の指を「瓶」に入れて持ち歩いているのだ。

 

屈折していて、とても日常に転がっているような内容ではないけれど、若い頃に経験した恋愛を少しだけ思い出させる作品だった。読後の爽快感はないし、ハッピーエンドでもないけれど、心が温かくならないけれど、誰かを気が狂うほど愛するということを考えさせられる小説だった。

 

誰かを愛していますか?

 

気が狂うほど。

 

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