443発目 牛の話。


牛



その日は1人だったから行きつけのスナックで飲もうと店のドアを開けた。 『いらっしゃいませ~』と甲高いママの声がする。 店内を覗くとカウンターの中にママ、そしてカウンターのこちら側に座って飲んでいる女性が1人いるだけだった。 あらあ、ヤマシタさん。とママはすばやくおしぼりを出してくれる。私はその女性の隣を一つ空け座った。 ちらりと横目でその女性を見る。 私の母親くらいの年齢だな、と見当をつけた。 すごく太っている。 ママが私にビールを注ぎながら彼女を紹介してくれた。

『こちらはココさん。私がまだ駆け出しのホステスだった頃に働いてた店のママだった人。』

ココさんは私に向き直り右手を差し出した。 握手をしろということか。 私は断る理由もないので右手を差し出した。 ふわりと柔らかい手だった。 ガハハと大きな声で笑うココさんは上品さのかけらもない人だった。

 

私は声の大きい女性が苦手だ。 『うるさい』、と思ってしまう。 この時もやはり私はココさんに対して『うるさい』と思い、嫌悪感でいっぱいになった。 ただいつもお世話になってるママの知り合いだし、失礼の無い様にしておこう、つまり放っておこう、と決めた。

 

しばらくするとココさんはカラオケを歌うと言い出した。 何にしようかな~と言いながら楽しそうだ。 私は『うるさい』と思った。 ココさんは昔のアイドルの歌を歌った。私が小学生の頃の歌だ。懐かしいと思っていたら歌い終わったココさんが私に、今の歌を知ってるか?と訪ねてきた。 私は2杯目のウィスキーを口に含んでいたので声を出さずにうなずくだけにした。

 

『え~、これ知ってるってことはヤマシタさんはいくつ?』

 

と、先ほどのマイクを通した歌声と変わらぬ大きさの声で聞いてきた。 私は『うるさい』と思いながら左を、つまりココさんの方を向いた。 ぎょっとした。 彼女はいつの間にか一つ空けていた椅子に移動してきており、私の隣に座っていたのだ。

 

『ねえ、私、何歳だと思う?』

 

出た。 何歳だと思う攻撃。 何故女性は年齢を当てさせたがるのか? 女性に年齢を聞くのは失礼であるのと同じように、ノーヒントで男性に年齢を当てさせるのは失礼だというマナーが出来ないだろうか?

 

『えっと、分かりません。』

 

『何よ~、勘でいいから言ってみてよ~』

 

ココさんは随分酔っ払っているようだ。 私は仕方なく頭に浮かんだ年齢から10を引いて40歳ですか?と言ってみた。 何故、こちらがこんなに気を使わなければいけないのだ! 私は『うるさい』と思っていた。 ココさんは、私が言った年齢に気を良くしたようだった。 あらぁ、そんなに若く見える~、などと言いながら上半身をくねくねしている。若く見えてるのではない。 若く言ったのだ。と心の中で罵倒する。

 

『じ・つ・わ・ 48歳でした~!』

 

ほぼ正解やんけ。私はかろうじて『人間の年齢にすると何歳でしょうか?』と聞きたくなるのをこらえた。

 

そしてそのまま私の隣から元の席に戻ろうとせず、自分のグラスを引き寄せ私の方を向いたまま尚もしゃべり続ける。私は『うるさい』と思っている。さっきからずっと『うるさい』と思っている。

 

『ねえねえ。何カップと思う?』

 

もうね、知らねぇよ!って大きい声で言い返したくなった。だが私も分別のある大人だ。ここはぐっとこらえて、そのクイズともアンケートもつかない問題に答えることにした。

 

『え~っと、Dですか?』

 

『ぶっぶ~。』

 

腹立つなぁ。

 

『正解はFカップでぇす。』

『ココさんはすごっくおっぱいが大きいのよ。』

ママも彼女に加勢するかのように付け加えてきた。 正直に言おう。 私はおっぱいは好きだが大きさはさほど気にしない。大きかろうが小さかろうがどうでも良い。 ただ、単純におっぱいが好きなだけだ。 だが、ココさんのおっぱいにはまるっきり興味がない。 なぜか? 『うるさい』からだ。

 

『ねえねえ、触ってみる?』

 

まっぴらごめんだ。 ちっとも触りたくない。 だが、それも女性に恥をかかせる気がしたので私は『じゃあ』と言い両手を差し出した。

通常の女性、つまり一般的にこのへんだろ?という胸の辺りを触ってみる。 先ほどの手と同じくふんわり柔らかい。

 

『やあねえ、そこじゃないわよ。もっと下よ。ヤマシタさん童貞?』

 

え?これおっぱいじゃないの? もっと下って?

 

私は仕方なく彼女のその突き出た腹を触ってみた。 薄手のセーター越しに感じたのは確かにブラジャーだった。 おなかと思っている場所におっぱいがある。 すこし離れてもう一度ココさんの体を眺めてみる。

 

おかしい。 通常のおっぱいの位置も膨らんでいて、さらに腹の位置も膨らんでいて、そのどちらもがおっぱいの感触なのだ。 4つあるのか?

『なんだか牛みたいですね。』

私がその一言を発した瞬間、ココさんの顔色が変わり、黙ってしまった。 それから10分位してココさんは 『じゃあ帰るね』と言い、お金を払って店を出て行った。怒らせちゃったかな?

 

ママはココさんを見送りに行き、私は店内で一人ぼっちになった。 しばらくしてママが戻ってきて私にしかめ面をし、説教じみたことを言い出した。

 

『ヤマシタさん、ココさんに牛は禁句なの。』

 

知らん知らん。 先に言ってよ。だっておっぱいが4つあるみたいな体型やん!

 

『彼女の実家は牧場でさ。小さい頃に可愛がっていた牛がある日、食卓に出てきたんだって。ココさん、それがショックで3日くらい泣き続けたらしいわ。 それ以来、牛肉も牛乳も、そして牛ってワードもダメなのよ。』

 

全っ然、想像と違う理由やん!

 

いやあ、世間って本当に

 

イロンナヒトガオルネ

 

 

合掌

 

 

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