436発目 偽物だと疑われた話。


ライナーノーツ

1985年。僕が中学生のときだ。テレビの野球中継を観ていた。巨人対阪神戦で当時は福岡には球団はなく、更にパリーグの試合もTV中継が少なかったので、興味もないのに観ていた。

先発の槙原は見た目が嫌いだったし、何よりアンチ巨人の父親のおかげであのユニホームを見るだけで腹が立っていた。だから阪神ファンでもないのに阪神を応援していた。

何回だったかは忘れたが、バース、掛布、岡田の3人が、つまりクリーンナップの3人ともが連続でホームランを打った。3人ともバックスクリーンに放り込んだんだ。 これには興奮した。 結局この年、阪神はリーグ優勝し日本シリーズで西武ライオンズを打ち負かし日本一に輝く。

バースは史上最強の助っ人外人と言われた。ある野球オタクの友人に教えてもらった話だが、この年はバースにとって記録がかかっていた。当時の巨人軍の監督である王さんのシーズン55本塁打にあと1本までせまったのだ。ところが江川以外の巨人のピッチャーはバースにストライクを投げなかった。後に外国人ピッチャーのカムストックは回顧録で『ピッチングコーチからはストライクを投げたら1球ごとに1000ドルの罰金』といわれてたことを明らかにしたらしい。 確か前日の54号ホームランを打ったバースがインタビューで

『明日はいよいよ記録がかかった試合ですね』

と問われた際に

『記録は達成しないだろう。なぜなら僕はガイジンだから』

とコメントしたそうだ。 この話を聞いて僕はなんとも言いがたい複雑な気分になった。なんだか苦い虫を口の中に入れられたような不快感だった。だからと言ってバースのファンになるでもなかったから阪神を退団しアメリカに帰国したことも気付かなかった。 ああ、そういえば最近バース見ないな、くらいの感想だった。

だからてっきりバースはアメリカに住んでいるもんだと思ってた。あの時までは。

あの時、つまりバースがアメリカじゃなく日本にいると分かったのは1994年の仕事始めの日だった。社員全員で大宮の氷川神社へ参拝し、ちょっと競輪場でものぞいてみるかと同期の3人で大宮公園方面へ歩いていたときだ。公園の北側にある池のほとりに大きな外国人がスーツを着て立っていた。

『バースだ!』

僕ら3人は同時に気がついた。そして僕らはバースに駆け寄り話しかけた。とても興奮していたと思う。

『バースですよね?ランディバース?』

『はい、そうです。』

『うわあ。ファンですぅ。』

僕はウソをついた。ファンではない。でもうれしかった。本物のバースに会えるとは思ってもみなかった。3人の内、手帳と筆記具を持っていたのは僕だけだった。だから僕はその真新しい手帳をバースに差しだし、サインをせがんだ。

バースはとても快く引き受けてくれ手帳にサインと日付を、そして宛名まで書いてくれた。

『ランディ バース Jan 4 1994 to SATORU』

 

あれ?

 

ん?

 

カタカナなの?

サインってカタカナで書くの?

 

事務所に戻って他の社員にバースに会った話をした。

『サトルなんてサインまでもらってたぜ!』

 

みんなが見せて見せてとせがむので手帳を開いた。

 

『何これ?自分で書いたでしょ?』

 

そうだよな。カタカナで書かれたもんな。

 

『偽物でしょ?』

 

だあれも信じてくれなかった。

 

バース元気かなあ。

もう1回会ったらアルファベットで書いてもらおう。

 

バースメ

 

合掌

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