327発目 本格的な話。


救急車

自動車に乗っている限り

事故の危険性は付きまとう。

 

毎日、仕事で車に乗る私は

事故の怖さをよく知っているので

極力安全運転をする。

 

特に北海道では積雪の

時期になると止まれない場合が

あるので黄色信号で止まる癖が

ついてしまった。

 

その日は雨が降っていて

路面の状況も良くないと思い

ゆっくり走っていた。

 

前方の信号が黄色になった。

 

交差点ではなく歩行者用の

信号があるだけの信号だ。

 

ナビの画面にちらりと視線をやる。

 

やはり、小学校が近くにある。

 

子供をはねるわけにはいかない。

 

私はいつも通り手前で減速し

ゆっくりと停車した。

 

と、後ろからババーンと

私を追い越して行った車があった。

 

何て危険な運転をするヤツだ!

 

 

私はその車の運転手を想像する。

きっと粗野で乱暴な若者だな。

想像力が足りないから、あんなに

スピードを出すんだ。

急ぐくらいならもっと早く家を

出ればいいのに。

 

私が止まった信号は歩行者用が

青信号だったが誰もわたる人は

いなかった。

 

ああ、不幸中の幸いか?

人がいなくてよかった。

 

と、その時、先ほどの車が

前方の反対車線にはみ出していき

歩道の縁石に乗り上げたと

思ったらがしゃーーんと

大きな音を立て転倒した。

 

我々運転手は事故でけが人が出たときに

助ける義務がある。

それがたとえ自業自得の事故で

あっても、運転手が粗野で乱暴な

若者であってもだ。

 

というか、あたりには私しかいなかったのだ。

 

私は青信号に変わったのを

確認し、前の車に近づいた。

車を道の端に停め、降りた。

 

ひっくり返った車に近づき

声をかけようとした。

ふと、車に紅葉マークが貼ってる

のが目に入った。

ん?若者じゃないのか?

 

逆さまになった運転席を覗き込む。

どうみても老人が逆さまに

座っていた。

 

『大丈夫じいさん?救急車呼ぶよ。』

 

するとそのじいさんは、

『いや、待ってください。

大丈夫です。私、大丈夫です。

救急車は呼ばないで!』

と大きな声を出した。

 

どうゆうことだ?

 

『おおい、どした?事故か?』

 

私の背後から声がかかった。

振り返ると作業着を着た

髪の短いおっさんだった。

 

私はそのおっさんに近づき

説明した。

 

『いや、単独事故だよ。

ひっくり返ったから救急車呼ぼうか?

って話をしてたとこ。』

 

『ケガしてんのか?』

 

『おでこから血が出てる。』

 

『ああ、じゃあ早く呼んであげなよ。』

 

『ううん。なんか知らんけど

救急車は呼ばないでって

言ってるんだよね。』

 

『なんだよそれ。いいか兄ちゃん。

こんな話を知ってるか?

最近はな、風邪ひいて熱があるとか

薬をもらいに行くだけとかの

くだらない理由で救急車を呼ぶ奴が

増えてんだよ。』

 

『ああ、知ってるけど、それが何か?』

 

『だからな、救急隊員も

いい加減、頭に来てんだよ。

何でこんな奴らを運ばなきゃ

いけねえんだよ!ってな。

きっとあれだよ、救急隊員は

こう思ってるに違ぇねえんだよ。

そろそろ本格的なけが人を

運びてぇ!てさ。

そこいくと、ほら。そのじいさんは

本格的なけが人じゃねえか。

呼んでやれよ救急車。』

 

この人はいったい何を言い出すんだろう。

 

何故か私はこのくだらない理論を

最後まで黙って聞いていた。

 

『どいてみろ、俺が説明してやるから。

ったく、最近のじいさんは

救急隊員の大変さを理解して

ないからな。ほら、どけって。』

 

そういうと作業着のおっさんは

中腰になって窓から逆さまのじいさんを

覗きこみ何やら説明をしだした。

 

『いや、私はそんな救急隊員の

事情なんて知りませんよ!

とにかく大丈夫だから

呼ばないでください!』

 

『何言ってんだよじいさん!

これだけ言っても分かんねえのかよ!

頭から血が出てんだぞ!

本格的なけが人じゃねぇか。

それともあれか?

保険に入ってねえのか?』

 

なるほど。彼の年齢からすると

国民健康保険だな。

保険料の未納か何かをしてるから

病院に行きたくないのか。

 

『保険くらい入ってますよ!

違うんですよ。行きたくないんですよ!

病院に!』

 

『じゃあ、こうしようぜ!

医者の方に来てもらおう。

緊急事態だからな。

救急隊員も医者を運べたら

自慢できるだろうし。

よし、にいちゃん、病院に電話して

ここに医者一人寄越せって言えよ。』

 

『いや、そんな。デリヘルじゃあるまいし

電話一本で医者が来るわけないよ。

 

ねえじいさん。なんでそんなに

病院に行きたくないと?

出血ホントひどいよ。』

 

『女房が働いてるんですよ。

車乗ってるのばれたら

ボッコボコにされるんですよ。』

 

なんじゃそりゃ。

 

作業着のおっさんは、

おっかねえ女房だなと言いながら

『じゃ、俺は現場に戻らねえと。』

と言い残し立ち去った。

 

私も次のお客さんへのアポイントが

近づいてたので失礼することに

した。

 

『じゃあ、じいさん、俺たち行くね。

お大事に。』

 

次の信号で止まった私は

もう一度ルームミラーで

じいさんの姿を確認しようと

見てみた。

 

ひっくり返った車の下から

のそのそと這い出てくる

じいさんの小さな姿が見えた。

 

それにしても、と思う。

それにしても事故のけがより

痛い目に合わせる女房って

一体、どんな人なのだろう。

 

いや、それよりも

あの作業着のおっさんは

じいさんと救急隊員の

どちらを救おうとしてたのか?

 

世の中は不思議なことだらけだ。

 

ゼンブジツワ

 

合掌

 

 

 

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